手紙を君に

真白の便箋の上にペンを走らせ、連ねた文章の最後に署名を入れる。
 
ヴルーは出来上がった短い手紙の横にペンを置き、インク瓶に手を伸ばした。瓶の蓋をしっかりと閉め、ペン先を布で軽く拭いて汚れを落とす。それらを机の引き出しに片付けて一つ伸びをしたところで、ガチャリと背後の扉が開いた。
 
 
「やあヴルー、いる?」
「クラウン……私に何か用かな」
 
 
ノックもせずに入ってきた突然の訪問者は、まるでそこが自分の部屋であるかのような無遠慮さで部屋に踏み込み、ヴルーの傍まで歩いてくる――実際この建物は彼の所有物であるので、ヴルーにあてがわれた部屋も彼のものと言って差し支えはないのだが。
さりげなく机の上の手紙を体の後ろに回したけれど、彼は目ざとい。少年はヴルーが防ぐ間もなく出来上がったばかりの手紙をさっと取り上げると、それに目を落とした。
 
「“ナメクジに塩はかけない方がいい”――って、何コレ?」
「……、人の手紙を勝手に読まないでくれるかな」
「手紙? これが?」
 
ヴルーがクラウンの手の中の紙をつまみ上げると、それはさほどの抵抗もなく自分の手に戻ってきた。あまりクラウンにとって興味のわく内容ではなかったのだろうと内心ほっとする。ふうんと言いながら、少年は白い紙に視線を向けてきた。
 
「誰宛て?」
「それは言わなければいけないかい?」
 
ヴルーの問いに、クラウンはにこにこと笑みを浮かべる。けれどそれは“笑顔という表情を作っている”というだけで、“笑っている”わけでは決してない。
くす、とクラウンが口元をさらに釣り上げた。
 
 
「ねえヴルー、オレが聞いてるんだよ」
 
 
その瞳の奥の濃い闇がゆっくりと這い出して来て、身を絡め取るような感覚に襲われる。ねっとりと絡みつくような、同時に押し潰そうとしてくる威圧感。相手は半分ほどの年の子供だというのに、人に非ざるものと対峙しているかのようだ。
息が詰まる。頬を伝う汗。けれど寒気を訴える体。
呑まれるなと心の内で己に向かって唱えながら一度目を伏せ、ヴルーはふうと息を吐いた。体の中にわいた感情を外に流すように。そして努めて冷静に答える。
 
 
「家族に、ね。何年も帰っていないから、手紙くらいは書いておくかと思っただけだよ」
「ふうーん……?」
 
 
クラウンがじっとこちらを見上げてくる。その瞳から目をそらしてはいけない。それ以上の理由はないのだと信じさせるためには、ここで動じるわけにはいかなかった。
たった数秒が数十分ほどの長さに感じられる。
しばらくしてようやくクラウンが言った。「じゃあ、早く出しなよ」と。
 
 
「面白そうだから、見てる。出しちゃっていいよ」
 
 
にこりと“子供らしく見える”笑顔を浮かべて彼が言う。先ほどの威圧感は消えていたが、その目が笑っているわけではない。“面白そうだから見てる”なんて、“見張っている”の間違いだろうとヴルーは心の中で一人ごちた。
けれど君が帰ってから出したいなどとは口が裂けても言えず、「そうかい」と返しながらヴルーはようやく乾いた便箋を折り畳んだ。宛名を書いた封筒に差し込んでその口を閉じれば、手紙は小さな鳥に変わる。
窓に歩み寄り、それを開け放った。外の新鮮な空気が屋内に流れ込んできて、少しだけ花の香りが鼻孔をくすぐる。それは昨日近くに咲かせた花の香だ。
 
手の中の鳥は今にも飛び立とうとしている。その顔をこちらに向かせ、鳥の目を見て小声で言った。
 
 
「“天”」
 
 
それを合図と見たか、鳥は羽を広げ空へと飛び上がった。鳥の白が空を小さくくり抜き、姿が徐々に遠ざかっていく。空高くまで昇ったそれを目で追っていいるうちに、強すぎる光が目に飛び込んできてヴルーは目を細めた。脳裏に小さな子供の姿が浮かぶ。
彼は、スバルは元気でいるだろうか。誕生日は忘れていない。あの鳥はおそらく彼の誕生日に届くだろう。もうすぐ彼は11になる。あのくらいの子供は少し見ないだけで見違えるほど成長するが、次に会う時までに一体どれくらい大きくなっているだろう。ニコやピクルスがいれば問題はないとは思うけれども、どんな日々を送っているのだろう。寂しがってはいないだろうか。自分は少し寂しい。渡せなかった誕生日プレゼントを、まとめて渡せる日がいつかくればいい。
 
 
「テン?」
 
 
背後でクラウンが尋ねてくる。さすが耳も聡いとヴルーは苦笑しながら振り向いて、「てい、だよ」と笑って言った。掛け声なんて聞かないでくれよ恥ずかしいなあ、とそれに続ける。クラウンは訝しむように眉を寄せたが、ヴルーは表情を崩さない。少年は首を傾げたけれど、そのうち考えることに飽いたようだった。
 
「ねえヴルー、オレにも手紙を書いてよ」
「ここにいるのに?」
「うん、欲しいな」
 
腕に巻きついてくる少年を持て余しながら、ヴルーはいいよと息をついた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2010.1.23 // ああどうか、遠くの君が幸せでいますように。