託されし想いを胸に抱け

 
 
 
どこかふわふわした、夢でも見ているような気分だった。水平線が見えず、霧か何かで風景がぼやけた空間の中に自分はいて、どこまで続いているとも知れない柵の前でヴルーと少し話をした。
 
「スバルに聞いておいてくれないかな? アレで1ミリでも歩み寄れたかなって」
 
自分で聞けと言ったアクロに彼は答えた。君に任せるよ、と。
ヴルーがそれを口にした時、彼は柵の向こうに立っていて――彼との間に隔たりがあるその意味を、一瞬理解できなかった。こちらに手を振って遠ざかっていく細い背中に待てよと叫びたかったけれど、何かに引っ張られるような感覚に意識が途切れて叶わない。
霧にでも包まれたようだった風景が、一瞬でまぶたの裏の暗に変わった。
 
 
(……、何だったんだ今の)
 
 
変な夢でも見たような気持ちで覚醒し、目を開けたら空と、横に座る誰かの人影が見えた。その誰かがヴルーだと理解するのに時間はかからない。彼の腹と胸が赤く染まっているのに気付くのも、一瞬で。
 
「っ!」
 
彼の名を叫びたかったけれど声にはならなかった。服の赤い滲みが見る見るうちに広がってゆき、地面にも流れ落ちてゆく。レンズの奥の目は閉じられ、そこに光を見ることは出来ない。
夢のように感じていた先ほどのヴルーとの会話を思い出し、その意味を悟る。最後に彼が柵の向こうへ歩いて行った――その、意味を。
自分の体はやけに軽くて、負っていたはずの傷は綺麗に消え失せていた。自分と戦った時にヴルーが無傷だったことも覚えているし、彼が今その身に受けている傷の位置がさっきまでの自分と同じだという事も分かる。自分の時間を巻き戻していると、ヴルーはあの場所で言った。これは、その結果なのか。
ドクンと、心臓の音が低い太鼓を思い切り叩いた時のように大きく響く。自身の鼓動が耳に届くくらいに煩くて、けれど頭の芯は冷えて感情が動かない。何も考えられないのだ。目は涙を流すどころか逆に乾いてしまって、心の臓を押しつぶされたみたいだった。
 
「なん……」
 
なんで、なんて聞かなくても解る。彼がそういう人だってこと。昔も自分のために傷を負ってくれたのを今でも鮮明に覚えている。
 
 
けれど、判っていても言いたかった。
なんでだよ、って。
どうしてこんなことになるんだって。
冗談だって言って笑ってくれよ。
 
探して捜して、やっと――会えたのに。
 
 
目の前の動かぬ体に手を伸ばそうとしたけれど、「スバル、危ない!」というネネの声にハッとして顔を上げる。見知らぬ少年が太く尖った円錐を宙に作り出したのが目に入り、アクロは考える前に立ち上がって駆け出していた。
 
(あいつが、クラウンか)
 
奥歯を噛み締め、強く拳を握りながらスキルを発動させる。クラウンを止めて欲しいとヴルーは言った。師匠から託された事を実現するのは弟子の役目だ。だから。
 
――絶対に、クラウンを止めてやる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2009.12.29 // 約束するよ。――だから、嘘だって言ってくれ。