「ティトォさん、あたし今朝ものすっごく変な夢見ちゃいました」
「へえ?」
 
 
 とある朝。チェックアウトをする横でリュシカが言った。
 
「アダラパタさんが空飛んでー。それで、ものすごく幸せそうなんですょ」
「へ、へー……」
「はい。今にも天国に召されそうな勢いでした」
 
 いつも不健康そうな顔色をしている彼の、ものすごく幸せそうな顔――?
 ティトォにはとても想像できなかったが、リュシカの頭の中ではそれはもう極上の笑顔だったんだろう。
 宿の料金を払って、外へと足を向ける。
 
 
「で、突然カレーの早食い大会が始まりまして」
「また唐突だね」
 
 外は昨日の雨が嘘のようにからりと晴れていた。
 地面はどろどろで水たまりもまだ乾いていないが、緑は生き生きとしている。
 舞う埃も雨と一緒に地面に落ち、空気はとても澄んでいた。
 
「伝説のカレーを巡って大混戦の壮絶バトルがくり広げられるんです」
「あれ、早食い大会じゃなかったの……?」
 
 
 空気の湿気とどろどろの地面がなければ。
 かなりすがすがしい朝だったに違いない。
 
「そのバトルというのがですね、早業隠し芸大会なのですょ」
 
 隠し芸を思い出したのか、リュシカがクスクスと笑った。
 内容はさすが夢というくらいに変な方向に飛んでいくが、リュシカの笑顔を見ていると楽しい夢だったことは間違いないだろうと思う。
 
「……楽しそうな夢だね」
「はいっ。もう笑い転げちゃいました。ティトォさんはなにかおもしろい夢見ませんでしたか?」
「ぼくはこの体になってから見てないな。そもそも夢を見ないから」
「そうなんですか?」
「うん」
 
 
 そういえば言ってなかったか。
 どうでもいい内容だから説明の時に飛ばして、それっきりになっていた。
 いや、それっきりのままでも良かったからいいんだけど。
 
「それはつまらないですね」
「何が?」
「寝る楽しみがないじゃないですか」
 
 そう言われてティトォは苦笑する。
 眠るのは休息と頭の整理のためだ、決して夢を見るために眠るわけではない。
 寝る楽しみと言われても、そもそも睡眠に楽しさを求めたことはない。
 
「でも楽しい夢ばっかりじゃないでしょ?」
「そうですけどー」
 
 それに、夢を見れなくなったことは完全に悪いことだとは思っていない。
 逆によかったとも少し思っている。
 悪夢を、見なくてすむから。
 
 
「んー……わかりました。じゃあこうしましょう」
「?」
「あたしがティトォさんの分も夢を見て、で、それを話すのです」
「いや別にぼく、夢を見なくても平気なんだけど」
「いい考えです。見れなくても夢を見たのと同じような気持ちになれます!」
「ってちょいちょいリュシカー……」
 
 
 聞いていないのか聞こえないふりをしているのか、リュシカはそのまま続けた。
 
「と、いうわけでさっきの続きです。隠し芸大会でティトォさんが」
「ぼくなの!?」
 
 夢を見たいと思うわけではないけれど。
 人から聞かせてもらうのもいいかと、ティトォは思った。
 
「じゃあ今度はこないだの夢なんですけどー」
「うん……」
 
 
 数時間後に、少し後悔したけれど。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2004.10.20 // 楽しそうに話す君の笑顔はとても眩しくて。
 
抽象名詞で10題 No.2 夢