食事中

 空が茜色に染まってから、もう随分時間が経つ。星の光がよく見える時間帯になった。空を見上げると、月が欠けていることに気が付いた。数日前は満月だったかなとぼんやり思う。
 テントを張り終えたミカゼは、漂ってくるいい匂いに誘われ焚き火の方へ歩いていった。
 テントを張る前に作った場所だ。適当な丸太を、椅子代わりに近くに置いた。今その上にはアクアが座っている。
 
 
「今日のメニュー何?」
 ミカゼは丸太のそばに腰を下ろした。もうお腹はペコペコだ。自分の食器を渡すと、リュシカが鍋の中身を入れてくれた。
「ビーフシチューですょ」
 温度が器を通して伝わってくる。少し熱い。出来るだけ端を持ち、スプーンを使って口に運ぶ。
 あっつ、と言いながらも夢中で食べて、ミカゼは再び器を差し出した。まだ食べている途中だったにもかかわらず、嫌な顔もせずリュシカはそれにシチューをよそう。
 
 手際のよさを眺めながら、ミカゼは思ったことを口に出した。
「リュシカって料理上手いよね」
「そうですか? ありがとうございます」
 焚き木が音を立てた。パチパチという空気の振動が心地よい。炎に照らされたリュシカの笑顔はきれいだった。
 渡された食器をありがとうと言って受け取る。
「普段から作ってたの?」
 再び器を口に近づけながら訊いた。
 
「いえ――パンのために修行しました」
「パン?」
「はい。パンっていうのは奥深くて、パンを焼ければ良いというものではないのです」
 言うリュシカの表情は真剣だ。そういえば彼女は元々パン屋だったと聞いた。パンのために修行なんて想像がつかないが、存在する世界なんだろう。
「新しいパンの開発には料理センスと技術が要求されますし、中に挟む物も自分で作らなければいけません」
 語気に勢いがある。このままではきっと止まらない。話をそらそうと思うが話題が見付からず、アクアに助けを求めてみるが無視された。
「そ、そっか。ところでこのビーフシチューってさ」
 
 
 無理矢理に手元のビーフシチューに話を移してみる。
 しかし、それは失敗だった。 
「はい。このビーフシチュー、パンに入れてみたいんですけど」
 この程度ではリュシカの気をそらすことは出来なかったようだ。それどころか、勢いを加速させてしまった気がする。苦笑しながらミカゼは答えた。
「はぁ……パンに」
 リュシカの目には、もはや二人は映っていない。ビーフシチューが冷えていくのも気にならない――いや、思考の中に無いようで、手を強く握り締め、視線は斜め上を向いている。
「以前、キノコクリームシチューパンというパンを食べたんですよ。もう美味しくって! パンのカリカリっとした感じに、シチューのとろり感がマッチしてて。それはもう極上の世界……」
 
「もしもーし」
 声すら聞こえていないらしい。
(……キノコか……)
 キノコには嫌な記憶がある。しばらくキノコは食うまい、と村を出た時に誓った。巨大キノコなんてもってのほかだ。名物キノコ、などと言われたら絶対に食べない。
「シチューの水分でパンがふやける事がほとんど無かったんです。この技術は学ばねばなりません!」
「リュシカさーん」
 
 
 二度目の呼びかけ。
 宙に向いていたリュシカの視線がミカゼに向いた。やれやれ、とミカゼは息を吐く。
「はい、何でしょう」
「食事中くらい、パンの研究じゃなくて明日のこととか話さない?」
 
 本当は明日のことなど、話すことはないのだが。朝起きてすばやく準備して、ひたすら町に向け歩くだけだ。
「何言ってるんですか! 食事中だからこそパンの研究をするんですょ!」
 力説し、勢い余って立ち上がるリュシカ。再び彼女の視界から自分達は消えたらしいなとミカゼは思う。
 
「例えばこのにんじん。パンと一緒にすると、大きさをもっと小さくしないと自己主張が激しすぎます。パン自体の味も、ビーフシチューの味を邪魔しない、かつ引き立てるようにして……」
 
 
 別の方向から小さく「ごちそうさま」と言う声が聞こえた。
 アクアだ。二人が話している間に――リュシカが一方的に話しているだけだが――黙々と食べていたらしい。いつの間にか鍋の中身も少し減っている。
「ミカゼ、食べないのかい?」
 言われてみれば、器の中身は冷たくなってしまった。シチューに目を落とすと、表面に薄い膜が出来ている。
「だってリュシカが……」
 小麦がどうだの、ジャガイモがどうだの、材料の話に行き着いているようだ。もうさっぱり分からない。パンなど作ったこともないから、材料に何を使うかなどと言われても。
 
 
 ぷわぷわした子だ、と思っていた。おとなしい子だと。
 だが今熱く語っている彼女は、熱血パン職人という言葉がよく似合う。人は見かけによらないという言葉が頭を通り過ぎた。
 そんなリュシカを半目で見ながら、そろそろ寝るかとアクアは立ち上がる。
 
 
「放っておきな。ああなったらティトォの頭脳をもってしても止められないんだから」
 ティトォですら無理なのか。
 ならば自分に出来るはずがあるまい。
「……そうする……」
 ため息をついて、冷えてしまったビーフシチューにスプーンを刺した。
 
 
 
 ――二度と食事中に、リュシカに料理の話題は振るまい。
 そう決意するミカゼだった。
 
 
 
 
 
 
 
2003.4.6 // いや、情熱は素晴らしいと思うんだ。
 
ATP好きに15のお題 No.9 食事中