アルカナに着いてすぐ、ティトォは地図を見に行くことにした。
昔買った地図なら持っていたのだけれど、地形や町の位置は変わるものだし、新しい発見もある。
船に乗る前に買った観光ガイドにも地図はあったが、一応新しいものを見ておこうと思ったのだ。
買うつもりはなく、変わっていても覚えておいて後で本に書き込めば十分。
そうと悟らせない程度に眺めて、完璧に覚えてしまえる自信はある。
店を探して歩いていると、前に行列のできている店があった。
店先の人が多すぎてショウケースの中の商品が全然見えない。
上に吊り下げられた看板から、その店がパン屋であることだけは分かった。
「250グラスになりまーす」
「ちょっとこっちまだ?」
「はいただいまうかがいます」
「お釣り足りないよ」
「あ、あれ?」
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
この行列に対して、店員の数は足りていないんだろうか。
忙しそうな店員らしき人の声が2人分聞こえてくる。
店の中身よりも行列が人を呼ぶというが、少し興味がわいた。
1つくらい買ってみようかとは思ったが、並ぶとしばらく出られそうにない。先に地図を見に行こう。
そう思って行列に背を向けると、今やってきたらしい婦人とすれ違う。
「おやあんた、買っていかないのかい?」
「ええまあ……気が向いたら後で来ます」
「絶対買ってみた方がいいよ、ここのパンは本当に美味しいんだから」
「そうですか」
軽く手を振ってその場を離れて店探しを再開する。
夕日に照らされて影の長くなった商店街の看板の並びに目を走らせながら歩いていると、湿気た塩の香りが髪を揺らしていく。
海に面した港町に人は多く、活気が薄れるには少し早い。
地図を置いていそうな店を見つけて中に入ってみる。
日用品や携帯食糧が棚に並べられており、キャンプ用品もいくつかある。旅行者向けの品物が多い中、目当ての品物はすぐに見付かった。
世界地図から地方の細かいガイドブックまで随分多くの種類が並んでいる棚を見つけたのだ。
ティトォはその中からこの大陸の物でなおかつ新しい本を手に取った。
薄い冊子を開いて描かれた地図を眺める。
まずはこの近く、特に手持ちの地図と比べて変わったところは見当たらない。
通る予定の道にそって視線をずらしてみる。
しばらく平地で山を越え、平原を進んでパラディア空港を目指す。
途中の道と町の変化は微々たるものだ。
強いて言えば1つだけ村から町へと呼び名が変わった所があるくらいか。
心持緑の色が薄くなっているが、印刷の違いの許容範囲だ。気にするほどのことではあるまい。
続いて行程とは特に関わりのない部分にも目を向ける。
「お兄ちゃん、ここに来るのははじめて?」
と、不意に声をかけられた。
声変わりにはまだもうしばらくかかりそうな高い声だ。
振り向くと小さな腕にダンボールを抱えた少年がティトォを見上げていた。
店の名前と同じ文字が印刷された青いエプロンがダンボールの下に覗いている。
親の手伝いといったところだろうか、その姿が微笑ましくて口元が綻んだ。
「リュシカお姉ちゃんとこのパンはもう食べた?」
「まだだけど」
リュシカお姉ちゃん、とはあのパン屋にいた少女のどちらかだろうか?
少年は重そうにダンボールを持ち直すが、視線はティトォから離そうとはしない。
「だめだなあ、絶対行った方がいいよ。本当においしいんだから! 特にメロンパンなんてね、焼きたてだったらね、まわりはクッキーみたいにさくさくで中はふわふわしてて、もう最高なんだよ!」
「……うん、そう」
熱のこもった目で力説され、ティトォは曖昧に微笑んだ。
……どうしようかな。
そう思う間も少年は一人べらべらと喋り続ける。主にパンの美味しさとパン屋の店の主人について。
ダンボールは下ろさなくても平気なのだろうか。
「……それからね、チーズめんたいこパンは……」
楽しそうに語る少年の笑顔、ダンボール、店のエプロン。
ふと絵が描きたくなる。
この一時、この一瞬を、絵に。
なんとなく船着き場で会った本人曰く売れっ子お笑い芸人を思い出す。
どうしてだろう、少年の楽し気で嬉し気で誇らし気な笑顔のせいだろうか?
ティトォはスケッチブックを取り出そうとしたが、少年が店の主人らしき人に呼ばれていってしまったので、後で思い出しながら描くことにする。
もう一度パン屋の前まで行ってみると、変わらずの大盛況だ。
さっきより時間が経っているため人は減っていたが、多いことに変わりはない。
人の間からメニューを覗く。せっかくだから買ってみよう。
少年にもすすめられたことだし、メロンパンにしようか――いや、もう残っていない。
まあ他のパンでもいいかな、でも夕食前だ、1つにしておこう。
ツナベーコン。ツナってところがいい。シーフードというだけで、思わず惹かれてしまう。
どういうわけか店員は現在一人しかおらず、セミロングの少女がせわしなく働いている。
さっきのもう一人はどうしたのだろう。
列の順番が近付いてきて1つ前の人が注文を言った時だった。
「メロンパン焼き上がりましたょ~。焼きたてのメロンパンは美味しいですょ」
店の奥からもう一人の店員がメロンパンを乗せたトレイを持って出てきた。
暖かく美味しそうな甘い匂いが鼻をくすぐる。
「あ、メロンパンもひとつつけてちょうだい」
「かしこまりました」
前の人は買うことにしたようだが、自分はどうしようか?
ツナベーコンを諦めようか、いやしかし……。
「お客様、ご注文がお決まりでしたらお伺いしますょ」
声をかけられてショウウィンドウから目を上げると、出てきた方の店員と目があった。
ティトォは思わず、
「ツナベーコンとメロンパンを1つづつください」
と答えてしまい、彼女がパンを入れだすのを見てしまったと思った。
1つだけにしておこうと思ったのに。どうして2つとも言ってしまったんだろう。
「220グラスになります」
しかし、パンを差し出されたときに少女の大輪の花のような笑顔をもう一度見て、
夕食がパンになってもいいかと思った。
2004.1.4 // 店員の笑顔につられて買いすぎてしまうなんて。
ATP好きに15のお題 No.6 笑顔