遊ぶ

「ティトォ、それ何冊目?」

 夢の木の上に積み上げられ、積み上げられたせいで座高まで越えてしまった本の山を見ながら、アクアは不満げな声をもらした。
 ハードカバーの古びた本の背表紙にあるタイトルは「今世紀の科学者達」「不自由論」「物質の構成と構造」「時間論」などなど、主として、いや全て専門書だ。

「んー……さあ……」

 ほとんど上の空で返しながら、ティトォは本の字面に目を走らせる。
 ――しかし、マクタガートの行った証明にはいくつか疑問点が挙げられる。まずA系列が矛盾しているという証明だが、これは反論に対してすり替えを行っているにすぎない。つまり反論に対する矛盾を証明したからと言ってA系列の――

「ちょっと、ティトォってば!」
「へ?」

 先を読み進もうとしたところで、急に本が目の前から消えた。本を持っていたままの格好の手が虚しく取り残されてしまっている。手を左右に眺めてティトォは瞬きを数回する。
 しかし視線を上げてみれば何のことはない。頬を膨らませて自分を見下ろすアクアの手に本が吊り下げられているのだった。

「ちょいちょいアクア、まだ途中なんだけど」
「知ってるよ。ティトォ、さっきあたしに何て言ったか覚えてるかい?」
「?」

 ……何か言っただろうか。
 そもそもアクアはいつから隣にいたのだろうか?
 思い返してみれば今読んでいた時間論を手に取った時点ですでにいて、隣で何か言っていたような気もする。さらに思い返せばその前からもいたような。あれ?
 本を読みだすとつい集中しすぎてしまうのだが、また何か上の空で答えたんだろうか。
 答えられないまま考えていると、だんだんアクアの眉が真ん中に寄ってきてしまう。これはまずい。言いそうなこと、何か、ええっと。

「「読み終わったら次に貸すよ」とか?」
「全然違う。あたしはこんなもの読まないね」
「じゃあ「魔法の研究に付き合うよ」とか?」
「そんなこと頼んでない」
「あれー?」

 もう一度記憶を遡ってみてもやはり覚えていない。
 普段なら見たこと聞いたこと感じたこと全て頭に残っているのだけれど、読書中だけはどうしてこんなに覚えていられないんだろう。読んだ内容だったら覚えているんだけど。

「あっそう、じゃあ思い出すまでこの本は返してやらないよ」
「ちょっと待って、今一番のポイント――」
「ここまでおいでーっだ」

 アクアはひょいと隣の枝に飛び移り、こちらに舌を出してみせる。
 しょうがないなあ、もう。
 立ち上がって肩を回すと、ずっと同じ体勢でいたためにコキリと小さな音が聞こえた。筋肉もすっかり固まってしまっている。
 思い出すまで返してやらないって、追いかけっこする間に教えてくれてもいいのに。
 ――あれ、追いかけっこ?
 そういえば、アクアがずっと隣で待ってたのって。

『ティトォ、あたし暇。暇ひまヒマひーまー』
『はいはい……読み終わったら相手してあげるからもうちょっと待ってて』

 という会話をしたからだったような。
 ……一応思い出したのだけど。本、返してもらえないのかな、やっぱり。読み終わったらとか言いながら、それから3冊ぐらい読んでしまったわけだし。でもいいとこだったんだけどな。あとちょっとだけ……駄目かな。

「こらティトォ、早く取りに来ーい!」
「分かったってば」

 言ったからにはちゃんと約束は守ろう。本当はちょっと、もうちょっとだけ、あと50ページでいいから読みたかったけど。
 アクアのいる枝に飛び移ると、ティトォが着地する前にアクアは走って行って他の枝に移動している。固まっていたのは肩の筋肉だけではなく全身のようだ。手首と足首をぶらつかせ、軽くストレッチをする。
 もしかして、アクアが本を取り上げていったのってあんまり長い間読むと疲れるから一旦休憩しろってことを言いたかったのだろうか?
 結構遠くにまで行ってしまったアクアの背中を見ながら考えていると、アクアが立ち止まってこっちを振り返る。

「ティートォー、真面目にやれ!」

 やっぱ、自分が遊びたいだけだったかな?
 ティトォは苦笑して、その体には少し大きすぎる本を抱える少女を追いかけようと隣の枝に向かって跳んだ。

2003.11.13 // たまには体も動かさないとね。

ATP好きに15のお題 No.14 遊ぶ