夏の風景

「プリセラさーん」
 高いこの絶壁の上でも日向にいると暑さを感じるある日の夕方、久しぶりの買い出しから戻ってきたサンが妙にごきげんだった。
 買ってきた商品――主にここで調達できない消耗品だ――を机の上に並べながら楽し気に言う。
 
「プリセラさんって踊り子だったんですよね。踊るの好きなんですか?」
「ん? 好きだよそりゃあ。あの音楽に合わせて体を動かす感じって気持ちいいじゃない」
 袋の中身を覗きながらプリセラは答えた。
 買ってきて貰ったのは主に歯ブラシや石鹸など。なかなか買いに行けないため大量に頼んだのだが、思った以上にたくさん買ってきてくれた。
 あっこの歯ブラシ可愛い、もらっちゃえ。
 
「踊りなら何でもいいんですか? 例えば盆踊りとか」
「盆踊りってあれでしょ、浴衣着て櫓やぐらの周りを回りながら太鼓とかに合わせて踊るやつ。いいよねー、私が昔やってたのとはまた別の楽しさがあってさー」
 盆踊りが行われている地域は世界でも一部に限られているが、一度連れていってもらったことがある。
 あの独特の振り付けに、戸惑ったりもしたが楽しかった。
 連れていってくれたあの人たちはもういないけれど、思い出はまだ鮮明に残っている。
 
 
「そりゃあよかった、下で明日の晩に盆踊りがあるそうなんですけど、一緒に行きませんか?」
「え……」
 とてもにこにこしながら言うサンとは対照的に、プリセラはため息をつきながら目を伏せた。
 正直なところ、行きたくてたまらないのだけれど。
「せっかくだけど行けないや。私たちは下に降りるべきじゃないもの。……ごめんね、せっかく誘ってくれてるのに」
 下界にはこの自然の結界にはない病原菌がたくさんあり、免疫力が極端に低い体では通常の人間ならどうってことのない風邪でも命取りになってしまう。
 それに何より自分達は他の人たちと関わってはいけないのだ。
「でもたまにはいいじゃないですかちょっとくらい」
「だめったらだーめ、行きたいなら1人で行って。あ、私お腹空いちゃった。ほら早くご飯作ってよ」
 
 
「……はいはい、分かりましたよ」
 サンは肩をすくめて見せると、いつもと同じように台所へ向かう。
 いつもと同じだったのだけれど、違っていたのはその表情が少し残念そうであったこと。
 ……せっかく誘ってくれたのにな。
 こっそり、ふうと息を吐きながら目を伏せる。
 踊ることは何だって好きだし、本当は行きたかった。一緒に行く人がいるなら、なおのこと。
 でも一度行ってしまったらきっと止められない。来年もそのまた次も行きたくなってしまうだろう。今年何もなかったって、きっといつか問題が起こる。
 
 だから、行けない。
 行っちゃいけない。
 
 
「今日のオムライスはのライスはケチャップソースと白とどっちにします?」
 
 
 サンの言葉に現実に引き戻され、沈みかけていた気分を隠すように、
「両方大もりで!」
 と明るく答えた。
 
 
 
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 空には薄い雲もほとんどなく、西の空が真っ赤に染まっていた。顔に当たる横日が眩しい。
「……よし、っと。2セット目終了ー」
 深呼吸で肺の空気を入れ換え、木の枝にかけておいたタオルで汗を拭って切り株の上に座る。
 いつもの倍近い量をこなしたため、体が自分のものじゃないみたいに重く、体の疲れが思考力を奪う。
 
 
 今日はいつも以上に夢中になってトレーニングに励んだ。
 トレーニングに夢中になることで、盆踊りのことを忘れたかったから。
 けれどこうして休憩をとると下界に思いをはせてしまう。昔教わった盆踊りの振り付けを思い返しながら手足を動かしてみる。手を叩いて、それから手を左右に動かして。
 うん大丈夫、覚えてる。
 ……行きたかったな、盆踊り。しかもサンが誘ってくれたのに。
 下に降りて浴衣を着て、人の中に混じって踊る。一人で踊るだけでも楽しいけれど、二人ならもっと楽しいだろうに。
 
 
「あれ、そういえばサンはどこにいったのかな?」
 朝からずっとトレーニングに集中していて頭が回らなかったが、今日はサンとほとんど顔を合わせていないことに気が付いた。
 朝と、昼食を食べたとき。
 珍しくトレーニングをする自分の様子を見にも来ていない。
 行けないって言ったから機嫌を損ねてしまったのだろうか、それとも一人で下に降りたのだろうか? どうしたんだろう。
 気になり出すと、いても立ってもいられなくなって、プリセラは立ち上がった。
 
 
 
 
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 家には誰もいなかったし、いそうな場所を一通り回ったけれど見付けられなかった。
 そうこうしているうちに日は暮れ、星がいくつも瞬いていた。月の淡い輪郭は円形に満ち、祭りにはもってこいの夜だ。今頃下界では夜空を明るく照らす篝火かがりびを焚き、櫓やぐらを組んで盆踊りの準備の仕上げを終えているころだろう。
「まったく、どこ行っちゃったのよ」
 もしかして、また下界に行ったのだろうか?
 盆踊りに行きたそうだったし。
 
 あれこれ考えているうちに、気が付けば町がある方角に足が向いている。
 小屋から少し歩くと、木々の向こうに何かが見えた。
 遠くて何であるのか分からないけれど、そのシルエットは細長い。けれど決して高くはなく、よく育った木ほどはない。
 あんなものここにあっただろうか。
 最近こちら側に来ていなかったから気付かなかっただけで、アクアかティトォが作ったのかもしれない。
 何だろうあれ。
 
 速足になりながら木々の間を抜けそのシルエットに近付いていく。近くで見ると、それは高さ2メートルほどの木で組まれた物見台にも似ていた。
 明らかに素人が作ったと分かる不格好な組まれ方で、草を糸代わりにして結び付けてあり、少し振動させれば崩れてしまうかもしれない。
 その手前で探していた人物が座って何かの作業をしていた。プリセラの視線に気付いたか振り返り、驚いた表情になる。
「プリセラさん!? どうしたんですかこんな所で」
「それはこっちの台詞。一体何やってるの?」
 その組まれた木を見上げながらプリセラはサンの方に歩み寄る。
 
 
 これに似た物を自分は知っている。ずっと前に一度、その時一緒だった友人達と一緒に見て、その周りを回った。
 これはそう、まるで――
 
 
「でも丁度よかった、そろそろ呼びに行こうと思ってたんです」
 ずっとずっと遠くに町の灯が微かに見えている。
 きっとあの光は篝火かがりびだ。
 櫓の周りを明るく照らすための。
「行けないって言うし、こんな変なので悪いんですが雰囲気だけでも味わってもらえたらと」
 サンが言い終わるより早くプリセラはその首に抱きついていた。
 
 
「ププププリセラさん!?」
「ありがとう! 私こんな素敵な櫓、初めて見た!」
 不格好で突き出した部分は不揃いで、今にも壊れてしまいそうなのだけれど、昔見た立派で整った櫓なんかよりずっと貴くて素晴らしいものに見えた。
 これ以上の櫓はきっとない。
 世界中を、いや宇宙を探したところで見付かりっこない。
 腕からサンの首を解放して見ると、サンは真っ赤な顔で口をぱくぱく動かしていた。
 
 
「よし、一緒に踊ろう、サン!」
「でも俺振り付けも何も知りませんよ?」
「大丈夫、私が教えてあげるから」
 遠くに見える大地の星と、頭上の満天の星。
 そのどちらの美しさも霞んでしまうくらい素晴らしい夜だとプリセラは思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2003.11.23 // …ありがとう。
 
ATP好きに15のお題 No.8 夏の風景