To The Tomorrow

 地平線も天の先もなく、木の枝が思い思いに伸びている白い空間が広がっていた。
 その中でも太い幹に座って足を投げ出して、アクアはぼんやりと風景を眺めていた。見慣れた夢の木が広がっている。音はなく、風も吹かない。
 
 
 便利なものだと思う。
 破れたはずの服や髪留めは元の姿を取り戻し、疲労も感じない。こうして座っていると、ジールボーイと戦ったことなんか夢のように思えてしまう。
 けれど現実。
 自分は負けて、プリセラと換わって、今こうして意識の大海にいる。
 
「アクア、お疲れさま」
 声がして振り向くと、ティトォが立っていた。にこやかな笑顔をアクアに向け隣に腰を下ろす。思わずその笑顔から目をそらし、アクアは視線を落とした。下には幾重にも重なった木の枝しか見えない。
 
 ティトォは座ったまま何も言わない。
 静寂だけが通り過ぎていく。
 その静けさに耐え切れなくなって、アクアは話題を探す。
 
 
「プリセラのこと、止めなかったんだね」
「ん? うん、まあね」
 ティトォは両手を腰より後ろについて天を仰ぐ。アクアはそれを気配で感じ取りながら、視線は向けなかった。
「ぼくが出た所で、彼には適わないし……っていうか、止めたって聞かないでしょ」
「そだね……」
 
 伊達に長い付き合いではない。夢で会えることがそう多くなかったにせよ、お互いの性格くらい熟知していた。
 止めようが何を言おうが、彼女はきっと聞き入れない。
 それに、他にどうしようもなかったのだ。
 
 
「メモリアに着いたらさー、久しぶりに『サプライズ堂』のたこ焼き食べたいよねー」
 唐突にティトォは話題を変えた。何を言い出すのだとアクアは思ったが、何も言わずにそれを聞く。
「あ、でも前に行ったのってかなり前だし……まだ店はあるのかな? あっても違う味になってたら嫌だよね。ねえ?」
「……うん」
 意図がつかめない。
 
 そりゃ、あのたこ焼きはこの世のたこ焼きとは思えないような風味だったけれども。たこ焼きなのに、たこがない。代わりに入っているのがチーズやら餅やら、別の具である。別の具が入っている時点であれをたこ焼きとは認めたくない。なのにメニューは『面白たこ焼き』なのが納得いかない。
 しかしティトォは気に入ったらしかった。
 最初は「たこ焼きはたこが入っているからたこ焼きって言うんだよ」と、シーフード好きの彼は散々文句を言っていたはずなのだが。
 
「アクアはメモリア行ったら、何したい?」
「別に何でもいいさ」
 そもそも自分が外に出られるかも分からないし。そっけなく言うと、ティトォは体を前に倒してアクアの顔を覗き込むようにする。
 
 
「でもさ、いろいろあるじゃないかメモリアには。何かあるでしょ」
「何でも良いってば」
 目を合わせたくなくて、ティトォの逆側を向きながら答える。彼のペースにはまりたくない。
「じゃあさ、出店のゲームとかどう? アクア、やってみたいって言ってなかったっけ?」
 穏やかに彼は言う。
 いつもと同じその穏やかさに、今は触れたくなかった。
 
「うるさいな、放っといてよ!」
 いらだちを抑えられずに、思わずティトォの方を向いて怒鳴る。途端目が合ってしまって、しまったと思ったときには遅かった。
 優しげな色を湛えた、丸い瞳。
 自分を真っ直ぐに見ている。
 見たくない。心の内を読まれてしまいそうで。
 
 
「それが出来ないから、ぼくはここに座ってるんだけどな」
 
 ティトォの表情が引き込まれそうな淋しげな笑顔に変わる。
 言葉に詰まって、手を握り締めて視線を反らした。
 口を尖らせ、再び彼と目を合わせない。合わせたくない。
 
「アクア」
 名前を呼ばれ、わずかに肩をぴくりとさせた。ティトォは静かにまた空を見上げて静かに尋ねる。
「……悔しかった?」
 アクアはこくりと頷いた。
 
 
「皆に……怪我させた。だから来るなって、言ったのに」
「そうだね」
 傷つけたくなかったから。
 足手まといだからって、来ても仕方がないだろうって言って。
 わざと突き放した。
 
「それに……三人とも頑張ってくれたのに、あたしは……っ」
 悔しい。
 頑張りに応えられなかった自分が情けない。
 魔法の修行をさぼったことなどなかったし、強くなったつもりだった。負けるなんて思わなかった。
 なのに。
 
 
「うん……。でもアクア、そうやって落ち込んでても仕方ないだろ?」
 ティトォは穏やかに問いかける。
 アクアはばっと立ち上がって、座ったティトォを見下ろす形になった。キッと鋭い視線で睨みつける。
 
 
「ティトォには分かんないよ! あたしがどんなに悔しかったかなんて!」
 
 ぼうっとしていたって仕方がないということは分かっている。
 だけどそれでも。
 分かっていたって、感情を抑えられないことなどままあるのだ。
 
 
「そんなことないさ」
 ティトォは天を仰いだまま、すっと目を閉じた。
「ぼくだって――ぼくたちだって、悔しかった」
「え……」
 
「皆が戦ってて、苦しんでるのが分かるのに。ぼくらには何も出来ないから。見ていることしか出来ないから……もどかしくて、悔しかったよ」
 目を開け、彼はアクアを見て笑った。静かに、感情を箱の中に押し込んで、自分のために笑って見せたように見えた。
 
(ティトォってそういう奴だよな)
 そう思いながら、アクアは唇をかみしめて沈んだ声を上げた。
「――ごめん」
 
 
 ティトォはふっと息を吐いて立ち上がると、アクアの頭をくしゃりとなでる。アクアも払いのけようとはせずに静かに目を閉じた。
「ほら、そんな顔しない。まだまだ強くならなきゃね、アクアもぼくも」
「うん」
 
 自分のために、世界のために、そして守りたい人たちのために。
 アクアは今度は自分から真っ直ぐティトォを見上げると、「ありがとね」と口元を緩ませた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2003.7.4 // 強く、強く――もっと。