さあ――――
 
 
 風が、吹いた。
 いつもより強く、何かを告げるかのように。
 木々がそれに答えて音を出すが、小柄な少女には何と言っているのかは分からない。
 棒付きの飴をくわえながら、ただその風が駆け抜けていった先を見つめる。
「……」
 風が去っていった方角の空は、今の風が全てをさらって行ったかのごとく真っ青に晴れ渡り、鳥が1羽思い出したように風を追って飛んでいく。
 人里離れた天然結界の中はすぐに元の静けさを取り戻し、少女は空から視線を戻した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 さあ――――
 
 
 今、外を何かが通り抜けていった気がして、少女は顔を上げた。
 何だろう。
 気になってパンの形を整える作業の手を止める。
 粉が飛ばないように閉めきっていた窓を開けると、町の喧騒が突然大きくなったかのようだ。
 人の往来は今日も激しく、人々がせわしなく双方向に向けて歩いている。
 知り合いが気付いて手を振ってくれたので、自分も返した。
 何もない。町は何事もなかったようにいつもの姿を保つだけだ。
 気のせいだったのだろうか、首を捻りながらその風景をを眺める。
 
 後ろから少しこげた匂いが漂ってきて、少女は慌てて振り向いた。
「あっパン取り出さなくちゃ!」
 残念ながら、パンはすでに店に置ける状態ではなくなっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 さあ――――
 
 
 長い銀髪がなびいて揺れた。
 見晴らしのよい高台で四角い機械を耳に当て話し続ける男が一人。
「分かってるんですよ、貴様がこの通信方法を嫌がってるのは。しかしですねえ、んなこたあ私にはどうだっていいんですよ。
 そもそも貴様がちゃんと報告を送ってくれさえすれば私もこんな面倒なことはしなくてすむわけなんですが。  ……はァ? 何言ってるやがるんですか、不死の三人を探すことでしょう。
 ……。
 ……。
 風邪? 私がそんなこと信じると思ってやがるんですかあなたは。
 ……。
 何、忘れた?
 えーえーそうですか。
 ……まあいいでしょう、あとで連絡し直します。その時までに思い出しておいてくれやがりなさい。…………ったく」
 
 男は少し苛立たしげにその機械を耳から離す。
 そして、今度は手元で何かの操作をし始める。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 さあ――――
 
 
 少年は空を見ていた。少し前までは青と白しかなかったなずの空を。
 今は育ちに育ったヤマイダケがその笠を広げており、空を隠してしまっている。
「いつ見てもでっかいよなあ」
 横にいた男が少年に声をかけた。
「そうだな」
 と短く答えつつ、“いつ見ても”って明日に見たら大きくなかった、なんてことがあったらおかしいだろうと心の中で突っ込む。
 
「これに上ったら見晴らしいいだろうなあ」
「だろうな」
「登ってみようぜ」
「お前が登れよ」
 
 上ったら、ってキノコにどうやって登る気だ、と少年は思う。
 木登りの要領で登ろうにも笠が邪魔になって上へ行けない。
 そもそもあのでっぱりのない表面のどこに手足をかける気だというのか。
「食ったらうまいかな」
「いや……それはどうだろう」
 一応毒キノコだと聞いていたのだが。
 ていうか、登る話はもういいのか?
 
 男から目をそらすと、こちらに向かって走ってくる青年の姿が目に入る。
「おーいミカゼ、村長が呼んでるぞー」
 少年はわずかに眉をぴくりと動かした。
「……村長が?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 さあ――――
 
 
 森にざわめきが訪れる。
 
 風は何と言っているのだろう。
 木は何と答えているのだろう。
 
 風が運ぶのは予兆か前兆か、はたまた吉報か凶報か。
 それを読み取れはしないけれど。
 
 
 
 大きな幕が、上がろうとしていた。
 
 
 
 
 
 
 
2004.3.24 // それは、始まりを告げる風。

ATP好きに15のお題 No.7 風