「〝トランの英雄〟に会われたそうですね」
食事に腹も満たされ、つい眠ってしまいそうになる昼下がり。シュウが突然振ってきた話に、サキは思わず握っていたペンを取り落としそうになった。
ペン先のインクが羊皮紙にぼとりと落ちて、大きな円形のシミがじわじわと広がっていく。
「……、ぼく、その話したっけ?」
書類が一枚駄目になったことはひとまず棚上げしておいて、並んでいた文字を完全に塗りつぶした黒に視線を落としながら、サキは半端な苦笑を口元に浮かべた。
えーと、これはどうしよう。
「いえ、シーナがアップルに話しているのを漏れ聞いただけですが……その反応は何です?」
シュウの視線がちらりとこちらに向けられる。その目が汚れた書類に止まったのか、彼は眉をぴくりと動かした。
ああまた怒られるとサキは肩を落としそうになったけれど、やってしまったものは仕方がない。
一応、書類をシュウから見えない位置にそっと移動させてみた。
「書類はご自分で書き直してください」
「……、はい」
しかし結局お咎めは飛んできた。
「あなたなら、こういったことは真っ先に報告してくるものかと思っていましたが……何かありましたか」
英雄に会ったと大喜びで報告してきそうだなんて、自分はそんなに子供だと思われているのだろうか。
まあ童顔も身長の低さも自覚しているし、普段の行動を振り返ってみても大人とはとても言えない―むしろ子供としか言えない場合が多いかもしれないが、なんだか先日の傷口を抉られたような気分になった。
苦笑するのに失敗したような表情で視線をそらしたサキの反応を別の意味で解釈したのか、
「まあ詳細は聞きませんが」
とシュウは続ける。訂正するほどのことでもなかったので、サキは何かを言うことはしなかった。
「で、どんな方でした?」
「うーん……すごく元気な人だったよ」
英雄というからどんな人なのだろうと思っていたけれど、自分と歳も変わらないように見えたし、言動もいたって普通の少年のそれだった。
グレイモスと戦った時には動きの速さと飛ばされる指示の的確さに驚きもしたけれど、英雄らしさとも思える部分は戦闘が終わるなり鳴りをひそめてしまうので、印象としては〝元気な人〟の方がずっと強い。
ただ、一つ加えていいなら――あまり人の話は聞いてくれない方であるらしい。
「ルックがすごく文句を言ってたけど、仲はいいみたい。シーナとも仲いいね。うーんとそれから」
「いえ、そういう事を伺いたいわけではなく」
シュウは息を一つ吐きだし、トンと手元の書類を指で叩いた。
その音が少し苛立たしげに聞こえたので、サキはちらりとそちらを見る。彼の表情がいつもと変わる事はなかったが、眉間の隙間がほんの少しだけ狭まっているように思えた。
「単刀直入に伺いましょう。使えそうですか、その男は」
今度はサキが眉根を寄せる番だった。しかも、わずかではなくはっきりと。
「……シュウは、すぐそういう風に人を見る」
「失礼。性分なもので」
使えるか否かなんてことで人を分けたくない。個々の能力なんて得手不得手も個人差もあって当たり前だし、簡単に線引きできるものではない。何よりそんなことで人を判断したくはない。
シュウはいつも冷静な判断をしてくれるけれど、頭はいいのだからもうちょっと言い方も考えてくれればいいのに。
この辺りはいつも意見が合わないことの一つなので、サキはそれ以上を言うことは止めにした。今ここで議論していたら仕事が進まない。
「今は戦力なら少しでも多い方がいい。何より〝トランの英雄〟の肩書を持つ人物の助力を得ることが出来れば、兵たちの指揮も上がるでしょう」
「それは……そうなんだけど」
「ハイランドに対するいい牽制にもなりますし、戦後のことも考えると、トランの者と親交を深めておくことは利に繋がると思いますがね」
なんだか、利という単語が心に引っかかる。
シュウの言うことが分からないわけではないし自分が子供なだけなのかもしれないけれど、そんなことで人を選ぶのは、なんだか違う気がする。
戦う意味や意志のある者たちだけで戦って勝てればいい、そんなのは綺麗ごとの理想論だとは思うけれど、彼は同盟軍にもハイランドにも全く関係のない人間だ。
黙って視線を落としたサキに、シュウは再び息をついた。
「何度も申し上げておりますように、戦は勝利しなければ意味がないんです」
「わかってるよ……」
戦に負けるとはすなわち仲間たちを危険にさらすのと同義語だ。子供の喧嘩のように勝敗がついて仲直りしたらハイお終い、というわけにはいかないらしい。大人の世界とはなんて面倒なんだろう。
「でしたら」
「わかったってば! これが済んだら行ってくる」
「よろしくお願いします」
淡々と仕事を再開するシュウに、サキははあと大きくため息をついた。あからさまにやってみたが、彼が気にしてくれる様子はない。
もう一度息を吐きたい気持ちになりながら、とりあえず、落としたインクもすっかり乾いた書類をゴミ箱に捨てた。
(うう、行かなきゃ駄目かなあ……)
バナーの村で出会った日のことを思い返しながら、サキはがくりと首を落とした。
何となく、少しだけれど、トランの英雄というあの人が苦手なのだ。
About
Wリーダーの出会いのあたり。坊が2主を追い返そうとして自滅している話で、たぶんほのぼの。(A5/68P/オフ/08.10.12)
「一緒に戦ってください!」というオンリーで出した本なので、Wリーダーのお話です。
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