朝が始まる少し前、不意に目が覚めた。
サキは目をこすりながら体を起こす。宿の部屋の中はまだ暗く、窓に目を移せば白い月が浮かんでいた。こんな時間に、しかも急に目が覚めたのは右手のせいだった。
そこにある盾をかたどった紋章は五年前の戦いの時からずっとサキと共にある。手にしてから辛いこともたくさんあったけれど、それだけではなかった。脳裏をよぎるのは沢山の人の顔と交わした言葉。
「サキ」
振り返ればジョウイも起きてこちらを見つめている。彼の黒き刃の紋章も同じものを感じ取ったのだろう、身振りで紋章を示せば無言で頷いてくれた。
「……ねえ、二人ともどうしたの……?」
真ん中のベッドで眠っていたナナミがぼんやりとした目を開いて二人を見比べる。起こさないようにと思ったのだが、無駄な努力に終わってしまったらしい。
ならもういいや。サキはぱっと顔を輝かせ、ベッドから身を乗り出して言った。
「ナナミ、あのねあのね――っ!」
とても懐かしい紋章の感覚。
あの時は当たり前のように毎日感じていたのに、本当に久しぶりだった。
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「うっわー、ほんとに着いちゃった……」
呆れ半分感嘆半分のため息を吐きながら、フォルスは銀の三つ編みを横に払った。木々の間から遠くに見えるのは街の姿だ。まだ空では星が瞬き、白い月が辺りを照らしている。このまま歩けば明け方には辿り着けそうだった。
「だろだっろー! ほれ見ろ、俺は正しかった!」
フォルスの隣で紅い目を光らせたのは黒髪にバンダナを巻いた少年だ。フォルスと同じく赤い服に身を包み、長い棍を手にしている。楽しそうな目はいつも爛々と輝き、前だけを見つめている。
「けどさリュウ、オレちょっと疲れたよ」
「一晩歩いたくらいで何だ情けない。男なら一週間くらい不眠不休で歩いても余裕だろ!」
意味が分からない。勝手に一人で歩いてくれと思いながら、フォルスは大きなあくびをした。
丸一日夜も寝ずに歩いていれば普通疲れる。しかもリュウが「こっち通れば近道な気がする!」と獣道に入ったものだから大変だった。街に着いたらまずお風呂に入って適当な宿で休みたい。ファレナの自室ほどでなくて全然構わないから、とりあえずふかふかのベッドに沈みたかった。
「よっし! じゃあ街まで競争しようぜ!」
「ええ!? オレやだよ!?」
抗議してみたもののリュウはやる気満々で準備運動をしている。どうしてこんなに元気なのだろう。昼間ならこれくらいの運動は全然構わないのだが、今は夜だ。夜は寝る時間だ。子供体質だと言われようが何と言われようが、夜とは寝るためにある時間だと主張したい。眠い。とにかく眠い。
「ちょっと、カインさんも何か言ってよー」
後ろを振り向けば、ずっと無言で地図を見ていた少年がこちらを見た。コルク色の髪と海に似た蒼い瞳を持つ彼は、黒を貴重にした服と赤いはちまきを身につけている。百五十年はとうに生き、この中ではダントツで一番の年長者だ。少しは疲れている――かも、しれない。
「競争って、賞品はどうするんだ?」
だがさすがは真の紋章の継承者、まだまだ元気だ。フォルスはがくりとうなだれた。
「そうじゃなくって! 止めてよカインさん!!」
「さすがカイン、話が分かるじゃねえか!」
リュウがパチンと指を鳴らし、ぽんとフォルスの肩を叩く。何だか悔しいくらいに勝ち誇ったような、もう楽しくてたまらないとでも言うような笑顔を浮かべている。
「降りるなんて言わねえよな? な?」
「うー、わかったよ……。その代わり! オレが勝ったら朝食おごってもらうからね!」
「おう任せろ、焼肉でもステーキでも何でも食え」
選択肢は肉しかないのだろうか、だったら自分で買ったほうがいいな――ツッコミはあえて心の中だけに留めておいて、フォルスは街に目を向けた。
何だか懐かしい感覚に呼ばれている気がする。
紋章が共鳴し合っているようなそれは、ずっと前から知っていたものだ。久しぶりだと思ったら口元が緩むのを抑えられない。早く街に行きたいと思っているのは自分だけではないはずだ。
「ゴールは街の入り口な。ほらさっさと行くぞ!」
「うんじゃあよーいどんっ。おっ先ー!」
「ってこらフライングすんなあああ!!」
嫌だと言ったのは誰だよという声が後ろから飛んできたが、聞こえなかったことにしておこう。
空の光に声が吸い込まれていく。ちらほら灯っている街の明かりを目指して走りながらフォルスは笑った。
もうすぐ、夜明けの時刻だ。
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坊+2主+4主+王子の合同誌、全員ED後に群島巡り。ほのぼのシリアス。(A5/148P/オフ/06.12.29)
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