昔テッドの家に遊びに行くと、たまに小さな黒猫の姿を見かけた。模様もなく全身黒一色で、漆黒の中に瞳だけが何かの宝石のように深紅に光っていた。呼んでみても決してこちらに近づいてくることはなく、少し離れたところからだたじっと自分たちを見つめている。置物のように佇んで鳴き声も上げないから、不意に動き出したときはどきりとした。
「あいつに餌やんなくていいの?」
昼食をテッドの家で一緒に取っていた時、そう聞いてみたことがある。寄ってきてくれれば少し分けてやってもいいのに、食事しているところを見つめられるのはなんとなく居心地が悪かった。
「出したって食わねえよ」
テッドは猫の方を見もせずにそっけなく食事を続けた。なんだか慣れた風だ。テッドにしてみればいつものことなのかもしれない。自分がいるから寄ってこないのかと思っていたが、ひょっとしてテッドが一人でいても人間には寄り付かないのだろうか。
「飼い猫じゃねえの? 野良?」
「……さあ、どうだろうな」
「何だその返事。たまに見るからお前が飼ってるのかと思ってた」
「たまに、ね。いつでもいるぜ、あいつ」
「そうだっけ?」
前回遊びに来た時を思い返し、いなかったけどなあと首を傾げる。けれどもしかしたらたまたま出くわさなかっただけで、実はどこかの部屋にいたのかもしれない。猫には気まぐれなイメージしかなかったから、なんだ野良なのか、と深く考えもせずに納得した。きっとこの家かテッドを気に入っているのだろう、と。再び黒猫がいた場所に視線を向けると、いつのまにかその姿は消えていた。
テッドがいなくなって初めて、あの時交わした会話の意味を知った。
「……、どこまでついてくる気?」
どんな天気でも、どこへ行っても、その黒猫は現れた。常に姿を見るわけではないけれど、ふと気配を感じて振り返れば自分の後ろを歩いている。絶対に一定の距離は保ったまま、鳴き声を上げるでもなくどこかへ行くでもなく、あの時と同じように無言でじいっとこちらを見上げている。旅の途中でとった宿の部屋に自分より先に入っていたことさえあって驚いた。
ある土砂降りの雨の日、全く濡れもせず足元に波紋を作りもせず立っているのを見て、それが“何”なのかを知った。
――いつでもいるぜ、あいつ。
かつての彼の言葉が脳裏に蘇る。近くを寝床にしているという意味だとあの時は勝手に解釈したけれど、違ったのだ。姿が視界に入らなくとも、いつどこで何をしていても。
それが右手にある限り、黒猫はいつでもそばにいる。
08.02.12