シュウの猫耳

それは単なる思い付きだった。
 
サウスウインドウの露店に無造作に置かれていた『それ』を見つけた時、これを同盟軍の誰かに――例えばビクトールやフリックあたりに――付けさせてみようと考えた。そうそれはちょっとした仲間内の可愛いイタズラのつもりだったのだ。
同行していた同盟軍の軍主に苦笑されつつ『それ』を購入し、ウキウキしながら城に帰ってみたら、長身と長い黒髪が目に入った。常に沈着冷静な彼に『それ』を付けたら一体どんな反応が返って来るか、一度試してみたくなった。――と、いうだけの理由で、彼の頭に『それ』を乗せてみた。
 
そして今に至る。
 
 
 
「……では次の進軍時の部隊構成だが、」
 
同盟軍内にある会議室。そこでは静かに軍議が行われていた。軍主と軍師はもちろん、各部隊の隊長達が集まり、今後の作戦について議論する場である。本来活発な意見交換が交わされるべき状況であるにも関わらず、その会議はとても静かに行われていた。静かすぎると言ってもいい。いや、誰も言葉を発することができないと表現した方が正しいかもしれなかった。
 
 
軍師の頭に猫耳が乗っている。
 
 
たった一つのその事実は、会議室の空気と全員の表情を凍りつかせるのに十分すぎる威力を持っていた。誰もシュウに視線を向けない、否、向けられない。当の本人が普段通りの冷静さで会議を進めていくから尚更だった。頭に乗っているその獣耳のカチューシャは、一目見て作り物と判る小さな子供向けのおもちゃで、明らかに付けている本人の趣味とはかけ離れているように思える。それを長身の大人が頭に乗せて当然のように立っているその姿は、異様としか言いようがない。
軍主と軍師以外の全員からの刺すような視線を一人で浴びながら、どうしたもんか、とリュウは思った。完全に部外者である自分は、これまで一度も同盟軍の会議になど出席したことはない。それがどうして今ここに席を設けられているのかと言うと、誘われたからだ。
 
シュウに。
 
彼の頭に耳を乗せてみるというイタズラを成功させた直後、鏡を見た彼は表情を変えなかった。シュウは頭の上に乗った物など全く気にしないそぶりで振り返り、リュウの後ろでおろおろしていたサキ向けて非常に冷静な声音で「そろそろ軍議の時間ですね」と言った。そしてリュウに向けて続けたのだ。
 
「トランの英雄殿も一度ご出席されますか?」と。
 
笑顔で。かつてないほど、にこやかに。
その笑顔には有無を言わせぬものがあった。
 
 
そんなわけで同盟軍の軍議に初参加しているリュウだったが、居心地が悪くて仕方がない。ビクトールやフリックはもちろん、アップル、クラウス、リドリー、他その場にいる全員が自分に視線を向けてくる。彼らが視線で訴えているのは大体同じ事だろう。
 
Q. お前一体何をした。
 
リュウはその全ての視線から逃げるように目を明後日の方向に向けながら、シュウが淡々と述べていく作戦を聞き流す。いやもう作戦とかどうでもいいから、今すぐ終わってくれないだろうか。視線が痛くて針のむしろだ。
会議室には一人の声だけが響く。朗々と。他は静まり返っている。軍主であるサキですらシュウの横で小さくなっていて、軍師から確認や了承を求められても「う、うん」「いいと思う……」と答えるのが精いっぱいなありさまだ。時々彼も助けを求めるような視線をこちらに向けてくる。
 
 
「……あ、あのさあ」
 
その重すぎる空気と沈黙に耐えかね、リュウはそっと手を挙げた。その瞬間、会議室の空気が氷のように固まるのを感じる。シュウがこちらを見てどうぞと言った。いつも通りの表情、声。
 
「シュウ、その……頭さ――」
 
アタマという言葉を発した途端、空気がさらに石のような固さになった。自分とシュウ以外の全員が動きを止め、息をつめて状況を見守っている。
 
「頭が、何か?」
 
シュウが笑った。かつてないほど穏やかに。やわらかく。これまで彼がこれほどにこりと笑っている姿を見た者がいただろうか、いや、絶対に、ない。少なくともこの同盟軍にはいないはずだ。
リュウの首筋を冷や汗が伝う。あれを頭に乗せた時に予想していた反応は、すぐに取り外して怒るか冷やかな視線を向けてくるかのどちらかだった。けれどそのどちらでもなかった。笑顔。にこにこ。怖い。すごく。
 
 
「いや……そのう……」
 
リュウはしどろもどろになりながら視線を外す。どうしよう。ほんのちょっとしたイタズラ心だったんだけど。しんと静まり返った会議室に、パンと手を合わせる乾いた音がやけに大きく響く。
 
「そ、そういえば、部隊編成についてまだ議論してなかったですよね!」
 
サキが必死に話題を変えた。ナイスアシスト、サキ。
そうですねとシュウが言って、ちらりとこちらを見たのがわかったが、リュウは必死で目を合わせないようにと頬杖をついて窓の外に視線を向ける。先ほどの発言など無かったかのように軍議が再開され、ほっと息をつく。しかし周りからの痛い視線は変わらない。
 
会議は続く。
粛々と。
淡々と。
 
 
「……では、今日のところはこれで」
 
 
シュウが最後にそう締めくくった瞬間、会議室にいた彼以外の全員がほっと肩を落とした。おそらく全員の心は言葉を交わさなくても一つだっただろう。
誰も彼の話に口を挟まなかったため、会議時間自体は軍議としてはとても短いものだったのだろうが、それは丸一日にも感じられるほど濃いものだった。心理的に。全員が疲れた顔をしているのがわかる。たぶん自分も他からみれば同じなのだろう。
 
「最後に、トランの英雄殿?」
 
シュウがすっとこちらに視線を向けてきて、一度は緩んだはずの空気が再び凍りつく。立ち上がりかけた者は半端な態勢のまま固まり、伸びをしていた者も手を降ろせずにいる。サキがちらりとシュウを見上げた。リュウもおそるおそる彼に視線を返す。いつもは名前で呼ばれているはずなのに、そう呼んでくるのは彼なりの意思表示なのだろう。
 
「何かご意見はありますか?」
 
再びにこりと笑って彼が言った。その頭の上には猫の耳を模ったカチューシャが乗っている。ごくりと唾を飲み込んで、リュウは姿勢を正した。けれども視線は彼から外した。
 
「いやあの……すいませんでした……」
「よろしい」
 
短く言って、彼は頭の上の『それ』を無造作に外した。コトン、と机の上に置かれる。もうこちらに視線を向けることもせず、彼は静かに会議室を出ていく。カチャンと扉が閉められた。途端に部屋の中の皆が長すぎるため息をつく。リュウもその場に突っ伏した。軍議が長かった。本当に、長かった。
 
 
「俺、あいつにはもう何もしない……」
 
ぐったりしながらリュウが言った。
 
 
 
「そうしてくれ」
 
 
と皆が答えた。
 
 
 
 
 
 
 
2010/01/24