「書くことねー……」
ずっと机に向かっていたと思ったら、そんなため息を吐いてリュウが机に突っ伏した。テッドは読んでいた本から顔を上げ、彼の方を横目で見る。
マクドール邸に遊びに来てみたらリュウが何やら真剣に机に向かっていたので、とりあえずベッドに腰かけて本を読みながら待っていたのだ。その本はまだ10ページも読めておらず、案外早くに彼の集中力が切れた。
「書くことないって、お前何やってんの?」
「あれテッド、いたのか」
「ノックはしたぞ」
「ふうん?」
テッドは本を置いて机の方に歩み寄り、上から覗き込むようにして置かれているものを見る。インク瓶とペンと、一枚の紙。テッドがそれに視線を向けると、リュウは紙の上から体をどかせた。そこにあったのは罫線が横に入った薄い紙だ。
『父さんへ』
たったそれだけの文字が紙の上部につづられている。現在北方にいるテオに向けた手紙であるらしい。リュウは椅子の背もたれに体を倒すと、もう一度疲れたため息を吐いた。
「グレミオが書けって言うんだけどさ、何書いていいのかさっぱり分かんねー」
「テオ様があちこち行くのなんかいつものことじゃん。手紙書くの初めてじゃないだろ?」
「そうだけど……毎回困んだよ」
リュウが腕を組んで顔に仏頂面を広げた。面倒くさいと思っているのがありありと見て取れて、テッドは苦笑する。
前に一度テオから聞いたことがある。仕事で家族と離れたとき、その様子を知る手段はたまに送られてくる手紙くらいしかないのだと。今度はいつ送られてくるか、何が書いてあるかが楽しみで仕方がないのだと。それがあるから離れている寂しさがまぎれるし、絶対に帰ろうと思えるのだと。……そう、嬉しそうに語っていた。
でも送る側はこんなもんなんだなあと思ったら、笑ってはいけないのになぜか顔に笑みが浮かんだ。親からの愛情と子供からの愛情は、どうやら完全につりあっているわけではないらしい。
「内容なんて何でもいいんじゃねーの?」
「グレミオと同じこと言うなよ。テッドなら何書く?」
「そうさなあ、昨日食った魚がうまかったとか、一昨日の夕立で洗濯物が駄目になったとか」
「はあ? それ何が面白いんだ?」
思いっきり不可解そうに眉をひそめられ、テッドは再び苦笑した。確かに面白さはどこにもない。けれど、離れた家族に送る手紙なんてその程度のものでいいのだと思う。
親が読みたいのはきっと面白おかしい内容なんかではなくて、今子供がどうしていのかだとか、病気はしていないかだとか、心配事や悩みはないかだとか、そんなことだ。元気にしていることさえ分かれば、それだけで安心できるものなのだろうと思う。
リュウがこういうものを苦手にしていることはテオも十分承知しているだろうし、苦手なりにも書いてくれたという事実だけで喜んでくれるだろう。そういえばテオからの返事はめったにないとも聞いている。親子揃って苦手なんだなあと思ったら、微笑ましくてなんだか笑えた。
「何だよにやにやして」
「べっつにぃー? 内容なんかつまんねーことでいいんだって。日記のつもりで書けよ」
「日記ねぇ……」
再びリュウが机に向かってペンを取る。軽く仏頂面ながらも表情が考えるものに変わったので、テッドは無言で彼から離れる。再びベッドの上に座り、さっきの続きを読み始めた。「うー」とか「はあ」とか机の上からいろいろ聞こえはしたが、テッドが本を読み終えるまで、リュウがペンを置くことはなかった。
+
父さんへ
“日記のつもりで書け”ってテッドが言ったから書いてみる。
○月×日、テッドと町へ遊びに行った。気がする。
○月△日、テッドと作った手製ブーメランで遊んでたらガラスを割って怒られた。その日の晩飯がすげー貧相になった。
○月□日、カイ師匠が来てまた棍を教えてもらった。そろそろ新しい技とか教えてくれればいいのに。
○月◇日、何やったか忘れた。
○月○日、…………
………………
…………
……
じゃあ、適当に頑張って。
リュウ
+
「……いや、日記のつもりで書けとは言ったけどな?」
出来上がった手紙は、本当に正真正銘の日記だった。所々「たぶん」とか「忘れた」とかいう言葉もあって、忘れたならいっそ何も書かなければいいのにと思う。しかも一日の内容は一行か二行がせいぜいだ。『たぶん晴れだった』としか書かれていない日すらある。
「日記は日記でも、五歳児の日記みてぇ」
「うるさいな! 俺は過去は振り返らない男なんだ!」
日記が書けないのと過去を振り返らないのとは全然違う。テッドは笑いながら半乾きの便箋をリュウに返した。
「ま、いーんじゃねーの? グレミオさんに渡して来いよ」
「思いっきりばかにしたくせに」
リュウはもう一度書いた手紙を読み返し、頭をかきながら「これ、父さんに笑われそー」とぼやいた。まあ、テッドでも、こんな手紙が送られてきたら笑う。けれどその笑いは、送ってきた相手をばかにするようなものでは決してない。いかに手紙に苦戦したかがわかって、それでも書いてくれたのが嬉しくて、勝手に笑みが浮かんでくる。
「意図せず面白いものになったんだから、いーんじゃねえ?」
「お前それ褒めてねえよ……」
リュウはしばらく考えていたが、書き直すのが面倒くさかったのかそれを持って部屋を出て行った。果たしてあの手紙を受け取ったテオがどんな反応をしたのか、本人と他の誰かに聞いてみよう。たぶんアレンやグレンシールあたりがマクドール邸に寄っていくはずだ。彼らなら実際のところを教えてくれるだろう。
そう思ったら、テオ達が帰ってくる日が今まで以上に楽しみになった。
07.07.08