無題 04

← Back Next →
 
 
 
 
 
 
飛び掛かってきた獣の牙をトンファーで防ぐ。いつもなら避けるだけの攻撃も、今はかわすことができない。トンファーに噛み付いたまま顎の力を強めてくるそいつの腹を、サキは思い切り蹴り上げる。痛みに耐えかねたように、獣は大きな牙を離して地面に転がった。
 
「下るぞ!離れんなよ!」
「はい!」
 
襲い掛かってくる牙を弾き返しながら斜面を下る。「城は攻めるより守る方が難しい」と言うけれど、外での戦いとなると全く逆だ。手は2本、足も2本。一体を相手にするだけならいいが、複数にまとめてかかられるとさばき切れなくなる。3体のうち一体の白い牙が、サキの腕を捉えた。激痛が脳に走る。
 
「――っ」
「サキ!」
「平気です!」
 
すぐに無理矢理引き剥がす。赤い血が飛んだが、痛くてもまだ動く。間髪入れずにサキは獣の首にトンファーを叩き下ろした。
 
 
痛くない。
こんなの、全然。
 
 
何体かを行動不能にしながら、どうにか川の分かれ道まで坂を下る。けれど横たわる川の向こうでは、3体の獣が渡ってくるのを待ち構えている。川は、勢いよく跳べばきっと渡れる。けれど、着地するかしないかのところで魔物たちが飛び掛ってくるに違いない。
 
「10秒経ったら飛び込め!」
 
リュウの言葉と同時に、空気に魔力の匂いが混じる。チリ、と一瞬火花が見えた気がしたその刹那、川の向こうに炎の壁が立ち上がった。
 
 
飛び込むって、炎の中に!?
 
 
熱くて厚いオレンジの向こうに黒い3つの影が揺らめいて見えた。烈火を恐れてじりじりと後退しているらしい。けれど川の向こうにいても激しい熱が伝わってくる。生まれた時から備わっている本能のようなものが、そこに飛び込むのをためらわせた。
 
 
 
「5、4、3――」
 
しかしリュウがカウントをしていく。
迷っている暇は、ない。
 
 
 
「カインさん失礼しますっ」
 
足を止めようとする恐怖を振り切って、サキはひょいとカインを担ぎ上げた。「えっ待っ」と驚く声が聞こえたが構ってなどいられない。少し助走をつけると、あらん限りの力で地を蹴った。
 
 
離れていても熱い。
炎の真紅が目の前に近づいてくる。
 
 
「1、――ゼロ!」
 
カウントがゼロになったその瞬間、サキ達が炎の壁にぶつかろうかというまさにその刹那、立ち上っていた炎がふっと四散した。
 
視界がクリアになる。
影でしか認識できなかった獣達の姿が、毛の流れまではっきりと見えた。
 
 
「走り抜けろ!」
 
 
後ろから声が飛んできて、後退していた魔物たちの間を着地した勢いのまま駆け抜ける。下り坂を利用して、滑り降りるように距離を稼いだ。木々の間から一瞬村の姿が見える。あそこまで行けば――
 
「っ、リュウ!」
 
カインの言葉に、サキは慌ててブレーキをかける。ブーツが草の上を滑り、転びそうになりながら数メートルを滑り落ちて止まった。振り返れば川から少し下りたあたりでリュウが獣達と格闘しているのが見えた。川の下で待っていた3体だけでなく、上にいた魔物も川を渡ってきている。
 
「リュウさ」
「先に行け!」
「でもっ」
 
彼が強いのは知っている。けれどさすがに後ろを守りながらの1対6は分が悪い。どうしよう、どうしたらいい。戻りたいが、カインを置いてというわけにも。
 
 
「……サキ、下ろして」
「え、で、でも」
 
細い声で言われてためらう。さっきよりさらに具合が悪くなっているらしいのが声だけで十分分かった。聞こえてくる息遣いだって荒い。早く村に連れて行かなければと思う。けれど。
 
 
 
「――ッ、下ろせ!」
 
 
 
有無を言わせない強い声に弾かれるように、「は、はいッ!」とサキはカインを下ろして駆け出した。大急ぎで山を登り、リュウの元まで辿りつく。普段の穏やかな彼からは聞いたことも想像したこともなかった激しい声に、驚きで動悸がおさまらない。
 
「ばか、来んなって言ったのに」
「す、すみません」
 
思わず謝ってしまいながら、魔物を地面に沈める。下には行かせない、行かせるわけにはいかない。リュウと背を向け合い、急いで獣を光に変えていく。あと4体、3体――
 
 
「あっ」
 
 
けれど2人の攻撃をすり抜けた1匹が、血の跡を草の上に作りながら地を蹴った。その方向は川に遮られた上ではもちろんなく、――下。
 
サキもリュウもそれぞれ相手をしていた残りを次の瞬間には倒していたけれど、それからで間に合うほど狼型の獣の跳躍力は弱くない。
 
 
「カインさん!」
「カイン!」
 
 
今にも倒れそうなほどひどい顔色でふらりとよろめきながら、彼の瞳が獣を捉えた。少し虚ろだったそれが、敵を認識した途端に一瞬ですっと細められる。
 
いつもは青くて蒼い、穏やかな色。
それが、怖いくらいに静けさを増していた。
 
夜空の青白い月より冷たくて、極限まで研いだどんな刃物よりも鋭利な色彩を放っている。そのくせ内に熱い何かを秘めているような激しさも重なっていた。視線一つで殺されてしまいそうだとさえ、思った。
 
 
「……っ」
 
 
思わず息を呑む。
視線を向けられているのは自分ではない。
なのに、身がすくむような戦慄が背筋を駆け抜けていく。
 
動くことができなかった。
あんな目をする人など知らない。
あの場所に立っているのは、誰?
 
 
 
一閃。
 
 
 
全ての音が存在を忘れたかのような空白を、カインの剣が強く切り裂いた。断末魔を上げる暇さえ与えることなく、苦痛を感じる余裕すら許すことなく、いっそ己の死に気付かせる間も奪って、ただ飛び掛ってくる魔物を、斬った。
 
獣は分断された肢体が地にぶつかるよりも早く、光となって四散する。サキの耳に木々のざわめきが戻ってくるまでには、さらに数秒の時間が必要だった。カインが剣を鞘に戻したのを見て、やっとの思いで息をつく。
 
 
「カインさ――」
 
声をかけて駆け寄ろうとした、その刹那。
 
「!」
 
 
糸の切れた操り人形のように、ふ、とカインがその場に崩れ落ちた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
← Back Next →
07.10.03