One Day

――あっやべ。
 
 
ガチャリと玄関を開ける音と共に、グレミオの「ただいま戻りましたー」という声が聞こえた。荷物持ちを連れての買い物だからもう少しかかると思ったのだが、意外と早く帰ってきてしまったらしい。
予定ではあと一時間くらいかかってくれるはずだったのに、困った。
とりあえず最低限の作業は終わっていたが、後始末が何も出来ていない。
リュウは自宅のキッチンの惨状に目を移し、はてさてどうしたものかと考えて――
 
 
「無理だ」
きっぱりすっぱり諦めた。
 
 
今目に映ったものはなかったことにして、リュウは玄関に向かって駆け出した。廊下の戸を開ければ、玄関ホールにグレミオともう一人が重そうな荷物を抱えて立っている。
 
「ああ、坊ちゃん。何か変わりありませんでしたか?」
「あるわけねーだろ、たかが買い物の間くらいで。で、今日の飯何?」
 
 
顔に浮かべるのはあくまでもいつも通りの笑顔。雷がいつ落ちるか冷や冷やしていることなんて、決して悟られてはいけない。
 
 
「兎のリゾットですよ。カインさん、荷物はキッチンにお願いします」
「はい」
 
グレミオがもう一人にそう言って、こちらに向かって歩いてくる。グレミオがキッチンに行くまでおよそ四十秒。あまり時間はない。
「待てカイン、ちょっと話がある」
荷物持ちとして買い物に同行していた少年に歩み寄り、リュウは彼の歩みを止める。黒い服に赤いはちまきを巻いた少年は、「何?」と無表情にこちらを見返してきた。
 
 
「まあとりあえず、荷物をそこに置け」
「……? 分かった」
 
 
グレミオの足音が遠のいていく。カインが荷物を置いたのを確認すると、リュウは彼の手を引きながら玄関の戸を開けた。
あと八秒。七、六、――
 
「ねえリュウ、なんでそっちに――」
 
ぴたりと廊下の足音が止まった。
台所の戸は閉めていない。
たぶんきっと、見た。
 
次の瞬間、予想通りの雷が落ちる。
 
 
「ぼッ、坊ちゃあああーーーーーーーん!! 何ですかこれはああああああッ!!」
「走れッ!!」
「え?」
 
リュウは不思議そうに目をしばたいた少年の手首を引っつかむと、外に向かって全速力で駆け出した。後のことは後で考えることにして。
 
 
……とりあえず、逃げよう。
 
 
 
 
     +
 
 
 
 
「……ああ、私の台所が……」
 
グレミオはわなわなと手を震わせながら、もはや立っている気力もなくなってその場にへたり込んだ。
出かける前に整然とした美しい姿を保っていたはずのキッチンは、わずか三時間ほどの間にごみ処理場のような有様に変貌していた。
 
磨いたばかりの床には粉やら卵やらが飛び散り、机の上も同じ状態で、当然流し台には洗っていない調理道具が山のように積み上げられている。棚という棚はひっくり返され、床には皿から野菜から調味料までいろいろなものが散らばっている。この様子だと冷蔵庫の中もきっとぐちゃぐちゃだ。どこに何があるか分かるようにと整理したばかりなのに、その苦労が水の泡だった。
 
「あーあ、これは派手にやったねえ」
 
楽しげな女性の声がして振り向けば、クレオが口元に手を当てながらキッチンの様子を見回している。隠してはいるがおそらく口は笑っているのだろう。
 
「片付け、手伝おうか?」
「お願いします……――って! どうして止めてくださらなかったんですか!?」
 
キッチンをこれだけ引っ掻き回せば、多少なりともクレオの部屋にまで音が届くはずだ。リュウが何を言っても止まってくれない性格であることは分かっているが、でも、もう少しどうにかならなかったのだろうか。
片付いたキッチンで気持ちよく料理をするのを楽しみに帰ってきたのに、これはない。グレミオは床に手をついたまま再び肩を落とした。
 
「ごめんごめん、でも落ち込んでても始まらないよ。さ、片付けよう」
「そうですね……」
 
クレオに促されて立ち上がり、グレミオはあまり正視したくない台所に目を向けた。まずは買ってきたものを冷蔵庫に入れようと開けてみれば、予想通りの惨状だった。せめて卵を冷蔵庫の中で割らないで欲しいと思いながら、濡れ布巾で汚れを拭きとる。
 
「まったく坊ちゃんはなんでこんなことを……」
 
はあ、と我慢できないため息を一つ。それを見て、クレオが「あれ、覚えてないの?」とクスリと笑った。
 
「何をですか?」
「ほら、二年か三年くらい前かな。坊ちゃんがテッド君と――」
 
 
 
 
     +
 
 
 
 
「……よし、とりあえずここまで来れば大丈夫だろ」
 
 
グレッグミンスターの外れまで全力疾走して、ようやくリュウは立ち止まった。郊外に人気はあまりなく、静かな風が吹いている。思いっきり空気を吸い込むと、肺に冷たさが満ちて気持ちいい。
 
「で、話って何?」
 
リュウが引っ張ってきた、薄茶色の髪をした少年が首を傾げる。その海のような青い瞳を見返しながら、「別に何もねーよ」とリュウは答えた。一人で出かけてもつまらないから巻き添えにしただけだ。それ以上の理由はない。
カインは特に気分を害する風でもなく、ただふうんと答えて周りの景色に視線を移した。ブロック塀にもたれかかるようにしながら、リュウもその場に座り込む。
都市と言われるグレッグミンスターではあるが、一歩外に出れば広がるのはだだっぴろい草原だ。緑の中に花の色がちらほらと混じり、全てが風に揺れている。
 
「いつ戻るんだい。グレミオさん、何か怒ってたみたいだけど」
「台所を片付けるのに大体一時間強だろ。んで、あいつ料理すると大抵機嫌が良くなるから、食事が出来たくらいに帰る。んでちょっと謝れば、料理が冷める前に食べろって話になるから小言もあんまり言われない」
 
それはリュウが何かやらかしたときのいつものパターンだ。ほとぼりが冷めてから帰って謝って、少しお叱りの言葉をもらっておしまい。昔からずっとそうだった。
「さすがだね」と言われたので、笑いながら「長い付き合いだからな!」とリュウは答えた。カインがあきれたような息をつく気配がする。
 
「褒めてない」
「知ってる」
 
さすがに嫌味と褒め言葉の違いくらいは判る。〝いつものパターン〟が出来上がるほどグレミオを怒らせなければいいのにと言われたのだ。
小さい頃から自分はグレミオを困らせてばかりだったような気がする。そしてそれはこれからも変わらないんだろうなと思った。
 
きっと、自分は変われない。
 
「グレミオさー、今年で三十だって知ってたか?」
隣に佇む少年に話しかけると、カインは感情のよく読み取れない声で「いや」と短く答えた。
「いい加減結婚でもしねえのって言ったら、『するわけないでしょう、私には坊ちゃんのお世話がありますから』って当然みたいに言われてさー……俺もそろそろ誰かの世話が必要な年じゃねーんだけどなあ」
「…………」
 
ふと視線を感じて顔を上げれば、カインが静かにこっちを見ていた。居心地の悪さに何だと問えば、別にと簡潔な答えが返ってくる。何だろうどういう意味だろう。ひょっとして今の言葉に疑問を唱えられたのだろうか?
そりゃあ見た目は十五の時から変わっていないが、中身は――……ええと、まあ、その。中身もあんまり変わっていないような気が。
 
 
「あー、何だっけ」
 
流そう。
 
 
とはいえ戻すほどの話をしていたわけでもなく、ただ沈黙がその場に落ちる。真っ赤な夕日が世界を染め、濃い影が地面に伸びていた。
家に帰るには、まだ早い。
 
「カインはずっと旅してたんだよな」
 
百五十年もあったらどれくらい世界を見れるのだろう。テッドに比べればまだ半分だけれど、それでもリュウからすれば途方もないくらい長い時間だ。カインは「そうだけど」と静かに答えた。
リュウは赤く染まった世界を見つめながら、ぼんやりとした頭で言葉を紡ぐ。
 
「世界のどっかにさ、ピンポイントで何かを忘れられる魔法とか薬とか、ねえの」
 
もしこのまま何もなかったなら、自分とグレミオの関係はずっと変わらない。自分がイタズラをしたらグレミオが怒って、でも最後には呆れて笑って、温かい食事で出迎えてくれる。そんな関係が続くのだろう。
 
けれど、例えば。
 
彼が自分のことを忘れてしまえたならば、誰か――カミーユあたりと一緒になることも、ありえるのだろうか。結婚して、子供でも作って。そんな当たり前のような生活を、幸せと呼べるものを、得られることもあるのだろうか。
もしくは逆に、自分か彼のことを忘れてしまえたら。いつか右手の紋章の餌食にしてしまうことも、ないのだろうか。
 
「…………」
 
ゆっくりと日が暮れていく、黄昏時。ただぼんやりと世界を見つめながら、そんなことを考えた。
 
 
「……ないよ、そんなもの」
 
 
隣でカインがぽつりと呟くように言う。こちらは見ずに、単なる事実を告げるような淡々とした声音で。
 
「はは、やっぱねーよなあ」
リュウはそれにただ乾いた笑いを返した。
 
 
分かっている、人の記憶をどうこうできるものなんてない。仮にあったとしても、記憶はいじっていいようなものではない。
だって忘れてしまうということは、その人の中で全て消えてしまうということだから。楽しかったこともそうでなかったことも、大切なものが消えてぽっかりと穴が開く。決してそれをよしとするわけではないのだけれど。
 
「あいつは、他の道だって選べるのに」
 
やっかいなものを宿したのは自分だけ。誰かを巻き添えにするつもりなんかこれっぽっちも無かったのに、旅にもついてくると言って聞かなかった。
 
「でも、選んだのは彼だろう」
「分かってるよ」
 
何が一番幸せか、どの道に進むかを選ぶのは自分自身なのだ。他人がどうこう言う問題ではない。それくらいは、分かっている。何も返せないのになと思うだけで。
 
「嬉しかったくせに」
「うっせえ」
 
軽く睨んだら小さく笑われてしまった。それがなんとなく面白くなくて、リュウは一つ舌打ちをする。
何が欲しいと聞いたところで、きっと何も要らないという答えしか返ってこないだろう。だからせめて、こういう日くらいは。
 
「ああそうだ、お前も後で手伝えよ」
「いいけど何を?」
 
家に帰る時間までもう少し。
そう長くはないけれど、作戦を立てる余裕としては十分だった。
 
 
 
 
     +
 
 
 
 
家に戻ってみると、なぜか小言は特に貰わなかった。それより夕食が出来たから手を洗って早く席に着くように、と指示されただけだ。むしろグレミオの機嫌がいい。なぜだ。不思議に思いながら部屋に向かっていた時、クレオとすれ違った。その笑顔を見てなんとなく理由を悟る。
 
「お前あいつに言ったな!?」
「あら、秘密だったんですか?」
「当たり前だろ!?」
 
ばれてしまったら何のために彼がいない隙を狙ったのか分からない。しかしそれなら材料と使った器具くらい片付けなさいと言われて黙るしかなかった。きっとクレオが何も言わなくても、使ったもので想像はついたのだろう。一応証拠隠滅くらいはする予定だったのだが、あいにく時間がなかったのだ。
 
「いいじゃないですか、怒られなかったでしょう? それにいいこともありますって」
「俺はサプライズが良かったんだよ!」
 
せっかく当人が忘れてくれていたというのに。しかし知られてしまったならもう仕方がない。それはそれで進めよう。
玄関の呼び鈴が鳴って、迎えに出るより前にソニアが中へと入ってくる。時間はかなりアバウトに伝えておいたのだが、見事にぴったりの時間だ。さすが何度もマクドール邸に食事に来ているだけのことはある。
 
「ソニアさんも呼んだんですか?」
「多い方がいいだろ? おいソニア! 上がって来――あ、パーン呼んで来てくれ!」
 
階段の上から顔を出して言うと、ソニアは軽く呆れながら笑う。
 
「客人を使うのか、この家は」
「お前は準家族だからいいんだよ!」
「……、まったく調子のいい」
 
舌打ち混じりの言葉だったが顔は笑っていた。その反応に嬉しくなって、リュウも頬を緩ませる。
メンバーは揃ったから、後はタイミングを待つだけだ。例のものを食堂に運び、ひとまず見つからないように椅子の下に隠しておく。
 
 
「リュウ、次の料理が最後だって」
「おし、入ってくるときは一緒に来いよ」
 
 
食器を運んできたカインが、グレミオに分からないように耳打ちしてくれる。二人が出て行ったのを確認すると、残る全員で頷き合って準備をした。
火を灯して、最後に部屋の明かりを消す。
 
扉が開いた瞬間、「せーの」とリュウは皆に合図をした。
 
 
――Happy birthday to you…
 
始まるのは誰もが知っている歌だ。誕生日を祝う歌詞を舌に乗せる。自分の音痴っぷりは知っているので、リュウはできるだけ小声で混じった。できるだけ聞こえないようにするけれど、歌うフリにはしない。だってこれは祝うための歌だ。その人の成長と、生まれてきてくれたことを。
 
――Happy birthday to you…
 
クレオと、パーンと、ソニアと、自分と、カインの声が静かな部屋の中で混じり合う。人数は昔より減ってしまったけれど、この儀式は続いていく。
 
――Happy birthday dear Gremio…
 
カインがグレミオをテーブルの中央まで案内してくれる。大きな鍋をテーブルの上に置いて、グレミオが揺れる炎の前で立ち止まった。
 
――Happy birthday to you…
 
 
ろうそくの火を、ふっと息でグレミオが消す。その瞬間に部屋は闇に包まれ、代わりに拍手と祝いの言葉が空間に満ちた。
 
「あ、ありがとうございます……!」
 
カインが再び部屋の明かりをつけ、室内に光が戻ってくる。グレミオは目を潤ませながら胸の前で手を組んでいた。「や、お前感動しすぎ」とリュウが言うと、彼は「何を仰っているんですか!」と片手を握り締めた。
 
「だって、今回は坊ちゃんがケーキを作ってくださったんでしょう!?」
「あ……まあ、一応」
 
なんだか恥ずかしくてリュウは頬をかきながら視線をそらす。昔一度だけテッドと一緒にケーキを作ったことがあった。それも同じ、グレミオの誕生日に。その時はテッドのおかげでそれなりに見られて食べられるものができたのだが、今回は一人で思い出しながら作ったため、なかなかにアレなケーキになった。
思いっきり焦げたし形も変になったし、生クリームもうまく塗れなかった。フルーツと一緒にビスケットとラーメン菓子を挟んでみたらふやけたし、ケーキの上にお菓子を並べてみたらカオスになった。チョコとクッキーはともかく、のど飴と塩系のお菓子類は間違いだったかなと今は思う。工作なら得意なのに、料理はよく分からない。
 
 
グレミオはさまざまな菓子類で混沌としたケーキに視線を落とし、二秒くらい言葉を探しあぐねるように沈黙して、
 
「……坊ちゃんらしいケーキですね」
と微妙な笑顔で言った。
 
少なくとも褒められていないことくらいは分かる。リュウとグレミオを除く三人がそれぞれこっそり笑うので、とりあえずパーンを軽く睨んだら必死で笑いをこらえながら手振りで謝られた。何だか面白くない。
 
「そうそう坊ちゃんね、クレオの奴が手伝いましょうかって言ったら『絶対一人でやる』って聞かなかったんですよ」
「あっ言うなよばか!!」
 
パーンが余計なことを言い、隣でクレオが笑いながら数回頷いた。あからさまに舌打ちをしてやったら、ソニアがリュウの肩を叩いてくる。
 
「私もいいことを教えてやろうか。パーンの奴、ここに来るまで下の部屋でこっそり歌の練習してたんだぞ」
「言わんでください!!」
 
今度はどっと場がわく。ああだから、食事だと言っても珍しくすぐに上がってこなかったのか。しかし練習するような歌でもあるまいに。
 
 
「リュウ。鍋、開けてごらん」
 
 
カインにつつかれ、リュウは最後に運び込まれた大きな鍋を見る。見慣れているので何とも思わないが、八人用の大鍋は初めて目にする人は大抵驚くサイズだ。今は蓋が閉められ、中の湯気すら漏れ出てはいない。
今日の夕食は何だったっけと出かける前の会話を思い出す。ああそうだリゾットだ。それがどうしたのかと思いながら、鍋の蓋を開けてみる。
 
 
「……あれ?」
 
 
開けた瞬間に鼻腔をくすぐった香りも、目に飛び込んできたものも、リゾットではなかった。
シチュー。グレミオの一番の、得意料理。
 
「えっなんで?」
目をしばたけば、横でグレミオがにっこりと笑った。
「だって坊ちゃんがケーキを作ってくださったなら、私も得意料理でお礼をしなければ駄目でしょう? リゾットの方がよかったですか?」
「や、そんなことは全然ねーけど……」
 
小さい頃から何度も作ってくれたシチューはリュウの好物でもある。変わるならもちろん大歓迎だ。
ふと、さっきは流してしまった〝いいこともありますって〟というクレオの言葉を思い出す。〝いいこと〟は、これか? ぱっと彼女の方を見たら楽しげにウインクされてしまった。
 
 
「さて坊ちゃん、よそいましょうか」
「お、おう」
 
自分の席に戻って皿を渡せば、彼が慣れた手つきでシチューを盛って返してくれた。各人にも料理が配られ、最後にグレミオも席に座る。
 
「んじゃ、いただきまーす」
 
リュウの言葉に続いて皆が「いただきます」と言い、いつも通りの食事が始まる。話は途切れることなく続き、明るい声が部屋を満たした。まず最初にシチューを口に運んでみたが、やっぱり他の誰が作るものより美味しい。
大急ぎでシチューを胃の中に掻き込むと、お代わりをするために立ち上がった。しかしほとんど同じタイミングで立ち上がったパーンが先にお玉を取る。
 
「あっ俺先!!」
「何言ってんですか坊ちゃん、俺が先ですよ」
「先ったら先ーーー!!」
 
火花を散らせてパーンとにらみ合っていたら、横からソニアがお玉を引っ張った。
 
「どっちが先でもいいが、とりあえず私に寄越せ。私は客だ」
「食卓という戦場に立ったら客も主人もない!」
「そうだ!!」
 
鍋の上で飛び交う視線と口論。しかしそれは長くは続かず、リュウとパーンはクレオによって頭をはたかれた。
 
「たっぷりあるんだから喧嘩しないの! 鍋が倒れるでしょう!」
 
そして「なんでいつも俺らだけ……」「ソニアだって」という二人の男の抗議は、「黙りなさい」というクレオの鋭い視線によって止められてしまう。パーンと顔を見合わせてぶつぶつ言っていたら、さらに怖い視線を向けられてしまった。女は怖い。
くだらないやりとりをしている間に、カインが無言で皆の皿にシチューのお代わりを分けていく。ソニアとクレオの分から入れていくので不満を言ったら、レディーファーストと言われてしまった。絶対不公平だと思いながら、再び席に座る。
 
 
「坊ちゃん、ケーキ、ありがとうございます」
「……ん」
 
 
改めて言われ、短くそれに答える。小さく笑われてしまったので、口を尖らせながらリュウはちらりと出来の悪いケーキを見た。
 
「残すなよ? ……たぶんまずいけど」
「はい、もちろん」
 
リュウは嬉しそうににこにこ笑っている男から目をそらし、ぼそりと呟くように言う。
 
「……誕生日、おめでとう」
「ありがとうございます」
 
 
〝生まれてきてくれてありがとう〟と〝一緒にいてくれてありがとう〟はさすがに恥ずかしくて言えなかったけれど、さっき歌に乗せたから、いいや。
 
 
「おいパーン、その勢いで俺のケーキも食えよな」
「坊ちゃんこそご自分の好きなものをお乗せになったんでしょう? 一人で三切れくらい余裕ですよね。一番生クリームの多いところは坊ちゃんに差し上げますよ」
「お前俺が甘いもの駄目だって知ってるくせに!」
「はいはい喧嘩しないのー」
 
 
明るい食卓。部屋に満ちる笑い声。
こうして、今日も一夜がふけていく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
2007夏の無料配布本でした。