昔、昔の話。
天の神様によって引き裂かれた織姫と彦星。
7月7日にだけ会うことを許され、天の川を渡って二人は一日限りの逢瀬を果たす。
そんな、昔話。
「ロマンチックですよねー」
これは、現同盟軍軍主、サキの言。“ロマンチック”を語るにはまだ十年以上は早そうな少年をちらりと見、ルックは一人首をひねった。結婚したら仕事をサボってしまって引き離された二人の、どの辺がロマンチックなのだろう。自業自得ではないのか。
「ん? あーうん、そうだな?」
かなりどうでもよさそうな返事をしたのは、同じくロマンチックという言葉とは程遠そうなトランの英雄、リュウ。彼はさっきから七夕用に作られた料理を口に運ぶ作業で忙しい。一体どうしてそれだけ食べられるのだと言いたくなる量をその腹の中に収めていた。
「なんで僕まで……」
ルックは何度目になるか分からないため息をついた。
場所はマクドール邸の庭、時刻は夜。
なぜか急遽七夕祭をやることになったとかで、ルックはなんだか事態もよく分からぬままに拉致され連れて来られた。グレミオと群島の英雄カインの手製料理がなければ、風魔法の一発でもぶっ放してやりたいところだ。
笹が家の壁に立てかけられ、その前に簡易の机を出して夕食をとっている。先に食べ終わったサキとカインはすでに短冊を書く作業に入っていた。リュウもまだ食事をしているにも関わらず、手が空いている間に短冊を書いていた。行儀が悪い、とは注意したところで無駄である。
「で、お前何書いたんだ?」
「“もう天魁星のくだらない用に巻き込まれたくない”」
話を振られたので、ルックは思いきりしかめっ面をしながら短冊をリュウに突きつけてやった。ルックにとってはある意味死活問題なのだが、
「くだらない用でお前を巻き込んだことなんかないぞ?」
と、トランの英雄はしれっと言った。
「群島までまんじゅうを食べに行きたいから連れて行けだとか、ツッコミがいないから付いて来いだとか、この七夕パーティだとか、君が声かけてくるのはくだらない用ばっかりじゃないか!」
力いっぱい主張してみたところで、返ってくる答えは大体想像通りだろう。リュウは真顔で手を握り締めた。
「何言ってんだ俺にとっては重要だ!」
「僕にとってはくだらないんだよ!」
「俺がそんなこと知るわけないだろう!!」
「ちょっとは知れーーーーーーッ!!!」
願ったところで叶わない願いというものは、残念ながら存在する。一体この問答も何回目になるんだろうと思いながら、ルックはがくりとうなだれた。
「で、サキは?」
「えっとですねー」
金の輪を頭に乗せた少年が、書いたばかりの短冊を笑顔でこちらに見せてくる。
“ナナミの料理がうまくなりますように サキ”
「…………」
「…………」
切実過ぎて笑えなかった。
「……それは……なかなかに難しいな」
「そうなんですよねー。もうちょっと、味を何とかしろとは言わないから、せめてお腹壊さなくていいものを作って欲しいというか。まあ、食べますけど」
体調を崩さない、というのは口にするものとして最低条件だ。それすらも満たしていないナナミ料理は本当に怖ろしい。一度だけ一口食べさせられたことがあるが、とにかくまずいものを世界中から集めてミックスしたような、壮絶な味がした。しかも食べた直後に腹の調子が悪くなった。それ以来、何があっても口にすまいと心に決めている。
「リュウさんは何書いたんですか?」
「ああ俺か? じゃーん、“冒険がしたい!”」
わざわざ効果音を付けた割には大したことない願い事だった。ルックの冷めた視線が気に入らなかったのか、リュウは面白くなさそうにこちらを見てくる。
「冒険なんていつもしてるじゃない。洞窟入ったり森に行ったり」
「違う! 俺はもっと心躍るような冒険がしたいんだ!」
身を乗り出して主張されたが興味ない。大海原に乗り出して海賊を戦ったりだとかピンチに陥っても己の力で乗り切ったりだとか、その他“男のロマン”について語られたが、ルックは適当に聞き流して「あっそう」の一言で一蹴した。
「何だよこの引きこもりーー!! 冒険に出てみたいっていうのは全少年の願いだろ!」
「……。あのさあ君、そろそろ“少年”って呼べない年になってるって分かってる?」
物申したい言葉がなかったわけでもないが、大人になって流してやろう。……とは思ったものの、わずかに杖を持つ手に力が入った。
「この見た目なら大事なのは精神年齢だろう!」
「ちょっとは大人になったらどうなのさ!」
「嫌だ!」
「どこのモラトリアム人間だ君は!!」
いい加減少しは成長して欲しい。主に、自分の精神衛生のためにも。どうして彼との会話はこんなにも疲れるのだろう――なんて、考えなくても分かるが。
「なんだよ、折角こんな体なんだから若く生きようぜ? 老けるぞルック」
「僕らって不老だけど不死じゃないからね――この場で楽にしてあげようか」
ぎゅっと杖を握り締めながら、かすかに風を纏う。横でサキが困ったように自分とリュウを見比べた。しかし当の本人はとても楽しそうだ。
「いやあんるっきゅんこわーい」
「切り裂きッ!!」
ルックの中で、何かが切れた。
怒りの弾けるままに風魔法を発動すると、竜巻が一つリュウに向かって飛んでいった。それは簡易テーブルを砕いて木片を辺りに散らせたが、至近距離から放ったにも関わらずリュウはひょいと避けた。
さすがは天魁星と言ってやりたいところだが、当てないと気が収まらない。再び魔力を集めかけたら、「待ってルックストップ!!」とサキに羽交い絞めにされた。
「物壊したらグレミオさんが怖いから! リュウさん、テーブル壊れたけどいいんですか」
「大丈夫だ俺は怒られ慣れている」
「胸張って言うなッ!!」
ルックはちらりと壊したテーブルに視線を落とす。まあ修理は無理だろうなというくらい粉々になったし、乗っていた皿もコップも全て割れた。…………何か言われたら、彼らを置いて一人で帰ろう。責任はリュウにある。たぶん。
「っていうか、今ので短冊飛んで行っちゃいましたけど」
「おっと」
そういえば、黄色の紙が見つからない。破片らしき小さなものは少し見つけられたが、全部には足りなかった。探せばその辺に残骸くらいは見つかるかもしれないけれど、今は夜。月明かりだけでは探すのは大変だ。何よりそんな面倒なことやりたくない。
「えー! 七夕は短冊を吊るさなきゃいけないんだろ!? 何すんだルック!」
「元々は君が悪いんでしょ。なんならついでに短冊みたいにぶら下がってる君の赤い上着も切り裂いてあげようか」
予想とは違う形であったが、短冊がなくなったなら今日のイベントも終わりだ。やっと解放されるとルックは疲れた息を吐いた。
「まだ一枚、残ってるよ」
しかし待ったの声を発したのは、今までずっといたにも関わらず一言も喋らなかった群島の少年だった。彼は何も書かれていない短冊をぺろりとこちらに見せる。けれど短冊は一人一枚ずつしか作っていないはずだ。
「それカインさんのですよね?」
「うん、でも思いつかなかったから。皆の願い事をこれに書いて吊るせばいいんじゃない?」
「思いつかなかったって、何かあるだろうよ」
元々はカインのものなのだから自分で書けとリュウが言ったが、思いつかなくて書けないのだとカインは答える。皆の、と言っても小さい短冊には3つも4つも願い事を書くスペースはない。どうするのだろうと思っていたら、サキが「じゃあ」と手を叩いた。
「“来年も皆で七夕を迎えられますように”でいいんじゃないですか?」
「またベタな願い事だね……」
彼に意外性のある妙案なんて最初から期待していないが、それにしてもどストレートだ。白い目を向けたら、「じゃあルックは何がいいのさ」と彼は頬を膨らませた。
「別にいいんじゃねーの? カイン、書いてくれ」
「分かった」
何でもよさそうな言い方で残る二人は同意した。きっと短冊を笹に吊るせればそれでいいんだろうなと思ったが、特に何も言いはしない。カインが書いて、リュウがそれを受け取る。手の届くところに吊るせばいいものを、わざわざ脚立を持ってきた。
「どこ吊るす気」
「てっぺんに決まってるだろ!」
「……バカと何とかは高いところが好きってね……」
「聞こえてるぞルック」
一つだけくくりつけられた短冊が、笹の上の方で静かに揺れる。空を見上げれば満天の星空。「来年も晴れるといいね」とカインが言って、サキがそれに同意した。
「雨雲があっても吹き飛ばせばいいじゃん? なあルック」
「なんでそこで僕に話を振るのかな」
真の紋章をそんなくだらないことに使うつもりは毛頭ない。というか雨雲を吹き飛ばすくらいの風を起こすなんてどれだけ大変だと思っているのだ。じろりと睨んでやったが、相変わらずリュウはそ知らぬ風だった。そして彼は机の残骸に目を向けた。
「……、さて。この壊れた机をどうするか皆で考えようぜ」
「怒られ慣れてるんじゃなかったの」
「慣れてても嫌なものは嫌だ」
だったら怒らせないでくれ。
自分の魔法で壊したことは棚に上げておき、ルックはそんなことを思う。
しかし話し合う間もなく玄関の方から「そろそろ中に入らないと風邪引きますよ」とグレミオの声がかかる。
そして美しい天の川がきらめく下、嵐でも呼んできそうな雷が落ちるのだった。
07.07.15