ある日突然、何もなかったはずの海の上に大きな島が現れた。
近くを船で通りがかったこともあるし、これまで見落としていたなんてありえない。
しかし島には人々が当たり前のように暮らしていて、島の人間も陸も人間も揃ってこう言う。
「この島は、ずっとここにあったろう」
――と。
そんなことは、ありえないのに。
同じだとアトリは思った。
ラスが話してくれたことと今の自分の世界の状況は、全く同一のものだ。
トビラを抜けた先にある砦は、ラスたちの世界に突然現れたものらしい。他の者たちは前からあったと考えている点も、全く変わらない。書が存在していることも一致しているし、これらはきっと同じ現象なのだろう。
世界の改変、これは一体どういうことなんだろう、とアトリは考える。
いくつも可能性を考えてみたけれど、なかなか納得のいく答えが出ない。どうしてもどこかに矛盾が生じてしまう。
――いや。
本当は、なんとなく気づいている。
全く矛盾しない解答に。
ただ、あまり考えたくないものだったから、検討をずっと後回しにしてきた。出来ることなら今もまだそれを結論にしたくはない。
けれど他に、ありそうな答えがなかった。
全ての可能性を考えて、矛盾するものを除外していったら、残るものがきっと真実なのだろう。
疑問が確信に変わる瞬間。それは、本来は歓迎すべきものだ。
あやふやだったことが形を持ってそこに落ち着く。
不安定に揺らめいていた何かが個体となって静かになる。
混沌から秩序へ。
これが他のことだったなら、アトリは迷うことなく結論付けたろう。
――でも。
「……、もう一度会いたかったな」
金色の光が満ちる回廊で、アトリは小さく呟く。
その声はこの不思議な空間の中、不思議な響きをともなって耳に届いた。
なんとなく帰る気になれなくて、アトリは己の世界に繋がるトビラの側に腰を下ろした。トビラとトビラの間の柱に背中を預け、膝を上向きに立てる。
海に現れた島のことをラスに話そうと思った。どういうことなのか、一緒に考えようかと。
しかし訪れた先で、彼が“あの人”の鎧を着た姿を見た。
傷もなく新品同然のもので外套もなかったけれど、あれはきっと同じ鎧だ。これまで何度も見てきたものを、憧れた鎧を、見間違うはずがない。
なぜかこの城にあったのだと、彼は言った。
その瞬間、まだ疑っていたかった推論が、確信に変わった。
探していたあの人は、きっともう居ない。
彼の世界は、あの砦と森だけを残して消えてしまった。
海に島が現れる前は、書についてよく知る前は、トビラの繋がる先が変わったのかと思っていた。
別の世界に繋がるようになったのか、もしくは同じ世界の別の時代に出たのかと。
……でもきっと、それは違う。
あの人の世界に繋がるトビラと、ラスの世界に繋がるトビラは同じだ。だったらそれは同一の場所なんだ。
そして書はおそらく世界の記憶だ。それがあるということは、現れた場所以外は消えてしまったのだろう。
彼の世界は終わったのだ。
自分を可愛がってくれたあの人はもういない。
もう会えない。
二度と。
彼はたくさんのことをアトリに教えてくれた。知識はもちろん、剣の扱い方も、考え方も、人の上に立つとはどういうことかも、全て。今の自分があるのは彼のおかげなのだとアトリは心底思っている。
一つの憧れの具現だった。こんな風になりたいと思った。並び立てるような人間になろうと誓った。
彼に対して胸を張れる、そんな大人になりたかった。
剣の腕も上げて、物事をちゃんと考えられるようになって、彼に認めてもらえたら、これ以上の喜びはない。
もう少し強くなって、彼から贈られた剣も使いこなして、足手まといにならないようになったら、隣に立って戦ってみたいと思っていた。真剣に手合わせをしてほしかった。
でも、その願いは叶わない。
その事実が、大きな重みとなって心にのしかかる。
「……ラスが忙しくてよかった」
アトリは再び呟きながら、立てた膝を抱えた。
なんだか取り込み中だったらしく、ほとんど話せなかったけれど、それで良かったのかもしれない。いや、きっと助かった。
何も話さなくても、彼の鎧を見れば分かったし。
何より。
「こんな情けない顔、ラスには見せられないや……」
口からもれるのは、自分でもほとんど聞き取れないほど掠れた声。
アトリは膝を抱えたまま、腕の中に顔を埋めた。
手を握りしめても心の痛みは消えない。
強く目を閉じても、頭に浮かぶのは彼との思い出ばかり。
最後に別れたときの挨拶は、「じゃあ、また」だった。もう一度会えることを、これっぽっちも疑っていなかった。
笑顔を保つのは得意だけれど、今回に限っては、あのままラスと話し続けて平常でいられた自信がない。
正直「またね」と別れるまでが限界だった。
笑えない。
――あれ以上は、笑っていられないよ。
こんな顔では仲間の元にも帰れそうになかった。
もうしばらく、この回廊でじっとしていよう。
ラスに会うと言って出てきたから、少しくらい遅くなったってきっと変には思われないはずだ。
もうしばらく、彼の死を悼んで。
耐えられなかったら、少しだけ泣いて。
ざわつく心が落ち着いてから、笑えるようになってから、自分の世界に帰ろう。
そんなことを考える。
次にラスに会ったときには、笑顔で「やあ」って言わなくちゃ。
—
クーガの死を知ったとき、主人公にはジェイルたちがいてくれたじゃないですか。
じゃあ、あの人の死をアトリが知ったとき、アトリには誰かがいてくれたんでしょうか?
クーガが死んだ後、迷ってた主人公に言葉をくれたのはアトリですけど、アトリには誰かが言葉をくれたんでしょうか?
……っていうところからの妄想です。
アトリって、主人公の前だといつも穏やかに笑ってますよね。弱音あんまり吐かない。迷ってる?って感じる時も後半にちょっとありましたけど。
そんで純粋な少年って雰囲気だけど、すごいしっかりしてるの。強い子だなあって見てて思いました。
でも、アトリだって絶対、憧れの(と、私は思ってる)英雄の死を知ったら辛いはずですよね。それは、ゲーム内では語られなかった誰かに助けられて乗り越えるのか、一人で全部処理しちゃうのか、どっちなんだろうということを考えています。
こういうとき主人公がアトリに元気をくれるっていうのもすっごい好きでまた別に妄想してるんですけど、アトリがあの人の死に気付いた(確信した)直後はすぐ別れちゃったから、主人公にはどうしようもないよね。
09.1.10