ゆっくり10を数えてから出なさいという父の言いつけに、リュウは素直に従った。いーち、にーい、さーん、と湯船に肩を沈めて間延びしたカウントを取りながら、風呂の戸を開けてグレミオの名を呼ぶ父の背を無心に見つめる。その背はまだ小さな子供の腕では回りきらないくらいに広く、果てしなく大きく見えた。今は同年代の子供たちと比べてもいささか小柄な体ではあるが、いつかそれくらいに大きくなりたいと思う。
「きゅーう、じゅ！」
勢いよく湯の中から飛び出して、テオの横をすり抜け脱衣所へ出る。外の乾いた冷たい空気が気持ちいい。服を引っ張り出そうと高い棚に手を伸ばしたら、何かが頭から覆い被さるように降ってきた。
「坊ちゃん、服を着るのは体を拭いてからですよ」
重いバスタオルの中から顔だけどうにか抜け出すと、すぐ近くにグレミオの笑顔があった。膝をついてしゃがむ彼に体を拭かれながら、そわそわと踵の上げ下げを繰り返す。じっとしてなさいと言われるのは苦手だ。体も髪も濡れていたっていいから、今すぐ遊びに戻りたい。グレミオは体を拭くのも着替えさせるのも遅いのだ。
いつもなら拭き終わる前に逃げようともするところだが、今日は父が風呂場にいるので待つしかなかった。なかなか家にいられないテオが帰ってきているのだ、遊ぶなら父とがいい。今彼の不興を買ってしまうことだけは避けなければならない。
まだ出てこないかなあ、とリュウは閉じられた風呂場への扉を見つめる。中から光はもれ出ているが、肝心の人影はこの位置からでは見えない。少ししてようやく扉が開き、待ち人が姿を現した。
「タオルです」
「うむ」
グレミオが一旦リュウから離れ、テオに厚いタオルを手渡す。父がそれを受け取って身支度を整え始めるのも、リュウはじっと見つめていた。戻ってきた手が頭に重いタオルを押しつけ始める。
「ねえグレミオ、父さんの体はふかないの？」
そう言って下男を見上げたら、彼は少し困ったように微笑した。その視線がテオの方へと向いたので、自然にリュウもそれを追う。「私は大人だからな、自分でできる」と父は苦笑した。
「じゃあ、おれも自分でやる！」
弾かれたようにそう言ってリュウはバスタオルの中から抜け出し、少し湿ったそれを両手でぐいと引く。体を包めるサイズの布を掴むには力が要る。引こうと目いっぱい力を込めたら、掌の筋肉が張るような感覚があった。
「だめですよ坊ちゃん、坊ちゃんの体をおふきするのはグレミオの仕事です」
「やだよ！ やるったらやるの！」
大きくなったら父のような男になるのだと決めている。その父が自分でやると言ったのだから、同じように自分で体を拭かなければ。少しでも早く、目標に近づくために。
ほんの数秒綱引きを続けた後、グレミオは「テオ様も何とか言ってくださいよ」と既に服を着始めた主を見た。テオに我儘を言うなと言われたら、さすがにリュウも従わざるを得ない。不安に思って同じ相手に視線を向けたが、「いいじゃないかグレミオ」と父が言ったので、リュウはぱっと顔を輝かせた。
「ただし、自分でやると言ったからには適当にするんじゃないぞ」
「うん！」
バスタオルをグレミオから奪い取り、引きずるほど重くて長いそれと、リュウはしばし格闘した。
おまけ
成長してから思い返すと、小さい頃の言動って相当恥ずかしい事なのではないかと思います。
…………、書いてて私もちょっと恥ずかしくなりました。笑。
小さい男の子がお父さんの後ろをついて回るとか、何でも真似をするとかって萌えるー。
子供が早く大人になりたくて背伸びしたくなる時期って可愛いですよね。
09.11.21