【サンプル】暁闇の灯火

 
 
 平穏な時間はとても貴いものだと江雪は思う。
 
 やわらかな風と暖かい日差し、そして美しい庭。春の縁側はとても心地よく、戦ばかりで荒みそうになる心を癒してくれる。非番の日は部屋の外の縁側でお茶を飲むのが、江雪の習慣になりつつあった。
 澄んだ水の張られた池にはその向こうに見える尾根線がわずかに写り、鮮やかな赤い橋がよく映える。そして池に浮かぶように作られた茶室と、その傍の灯篭が庭に趣を添えていた。
 
 
「そう変わり映えしない庭を毎日眺めて、よく飽きませんねえ」
 
 不意に背後のふすまが開き、宗三が顔を覗かせた。江雪はわずかに口元をゆるめ、視線を庭に向けたまま答える。
 
「変わる変わらないではないのですよ、庭の鑑賞というものは。それに毎日見ていれば小さな変化にも気付きますし、それを愛しいと思うものです」
「そういうものですか」
「そういうものです」
 
 
 返ってきたのは「はあ」という気のない返事だけだったが、多少の興味はわいたのか、宗三は江雪の隣に腰を下ろした。茶を彼にも出すべきかと迷ったが、器は一つしかない。取りに行くべきか、いや、すぐに立ち去る気でいるのなら余計な気遣いだろうか――
 ちらりと隣で胡座をかく青年の様子を伺ってみるが、彼はぼんやりと庭を見つめているだけでその意図は読み取れない。声をかけるべきかすら迷って、結局、江雪は何も言わなかった。
 二人の間に会話はなく、ただ風の音と遠くの鳥の鳴き声だけがそこに満ちる。居心地が悪いということはなかったが、彼とそうしていることにまだ違和感は拭えなかった。
 
「あなたも今日は出撃されなかったのですね」
 
 宗三の言葉に、江雪は「ええ」と短く返した。
 審神者の主の屋敷はそれなりに広くはあったが、かといって一人一部屋をあてがえるほどには広くはなく、流派ごとに部屋割りを決められている。流派が同じといっても特に面識はなかったこともあり、江雪が鍛刀で具現化してから一週間が経とうという今になっても、宗三や小夜と打ち解けたとは到底言い難い。宗三も江雪より数日早く本丸に来ただけとあって、三人同じ部屋にいてもほとんど会話もない。
 
 何より――いまだに彼らをどう呼ぶべきかすら、決めかねている。
 
 それは他の二人も同じようで、宗三や小夜が何らかの名で呼びあっているところを見たことがなければ、江雪も名を呼ばれたことがない。そもそも会話が少ないのだから、呼び会う機会すら限られているのだが。
 流派によっては名で呼び合ったり、名前に兄という敬称をつけて親しげに呼んでいるところもある。そうありたいと願うわけではないが、どうあればよいのだろうなとは考える。呼び名が決まらないこの状況も、それはそれで不便だ。
 
 
「あなたは出ていきたかったのですか?」
「さて……どうせ僕は鳥籠で飼われてきた刀ですから。行っても役に立つかどうか」
 
 自虐的な笑みを薄く広げながら宗三が言う。本心で言っているのか、ただこれまでの彼の境遇から拗ねているだけなのかは測りかねたが、つい主を擁護する言葉がついて出た。
 
「今日は桶狭間に行っているそうです。主はあなたに気を使ったのだと思いますが」
「そうでしょうかね」
「そうでしょう」
 
 
 また会話が途切れ、江雪はなんとなく今日出撃していった部隊構成を思い浮かべる。加州清光、今剣、鳴狐、鯰尾藤四郎、獅子王、それから――小夜左文字。
 主の初鍛刀で具現化した彼は他の者達より場数も多く踏んでおり、よく主に呼ばれて出撃していく。いや場数という話ではなく、単に彼が戦に行きたがるから、主もそれを叶えているだけなのかもしれない。戦準備は落ち着くと言っていた彼は、館に残っている日はずいぶん所在なさげにしているから。
 
 
 ――復讐など、さらなる戦を生むだけだというのに。
 
 江雪は小さなため息を一つつき、そろそろ空になりつつある湯飲みに視線を落とした。
 受けた痛みを傷みで返し続ける限り、戦がなくなることはない。許すことができない限り、復讐の環はどこまでも回り続けるだけだ。
 それに彼本人にとっての復讐は、とっくの昔に終わっている。若き鍛冶師が母の敵である浪人を刺したその時に。
 
 
 果たしたときに、終わらせられなかったから。
 止まるべきところで、救われなかったから。
 
 
 彼にとっての復讐はいつまで経っても終わらないのだろう。いや、むしろそれは本当に彼の復讐だったのだろうか。ただ彼の元主の復讐に使われただけだったのではないだろうか。
 演練の時に彼が「訓練じゃこの恨みは晴れないのに……」と言っていたのを聞いたことがあるが、そうでなくとも――例えば戦であったとしても――彼の心が晴れることはないのではないかと江雪は思っている。
 隣に座る宗三も主が時折出撃に連れていっているにも関わらず、いまだに籠の鳥に己を例える。彼は何を見ていてもそれに手を伸ばそうとしない――最初から、諦めてしまっているように。彼の場合は、きっと囚われ続けた時間が永すぎた。
 
 人間に使われた刀も、使ってもらえなかった刀も、どちらも深く傷つく――本当に、この世は地獄だ。
 江雪はわずかに残った茶を飲み干すと、目を伏せ息を吐き出した。
 
 
 
 
 

About

左文字三兄弟が出会った直後、少しだけ互いに心を開くまでのお話です。
ややシリアス寄り。審神者は存在程度にしか語られません。
 
2016.7.3発行予定 / 44P