カナリア*

Labyrinth

 私には、分からなくなりました。
 
 
「何をそんなに泣いているんだい、リュシカ」
 そう言ってくれたのは、女神様でした。
「私がいいものをあげよう」
 おじさんとおばさんがいなくなって、空っぽになった私に、優しい声をかけてくださったのは女神様です。
 
 魔法の力を与えてくださったのは女神様です。
「いつまでも泣いていてはいけないよリュシカ」
 女神様はそう言って、私の頭をなでました。
 暖かくて、優しい手でした。
 
 
 春の日差しが暖かい日でした。今日は何か良い事があるって思えるような。東側に見える太陽が差し込んで、床にくっきりと窓の影を作り出していました。
 私はベットから降りて窓の外を見、大急ぎで皆のいる部屋に行きました。
「おばさん、ピクニックに行きましょうょ」
 私はおばさんに言いました。
 こんないい天気の日に、建物中にいるなんてもったいないと思ったから。膨らんだ桜のつぼみを皆で見たいと思ったから。この時期のつぼみはキレイだ。生命の強さと優しさを感じられる。草むらに寝転がったら、きっと気持ちがいい。
 
「そうね、行きたいわ」
 おばさんは楽しそうに言って、すぐに困ったような顔つきになります。
「でも、今日は買い物に行かなきゃ……。明日、晴れたら行くっていうのはどうかしら。ねえあなた」
 声をかけられたおじさんは、ソファーに座って皆と遊んでいました。道具のいらない手遊びです。あたたかくて、優しい人。私はそんなおじさんが大好きでした。もちろんおばさんも、ムジナの穴の皆も。
 おじさんは振り向いて言います。
「ああ、いいんじゃないか?」
 
 
 おじさんの周りにいた皆が歓声をあげました。全員で出かけるピクニックは、私達の楽しみです。美味しいお弁当を持って、皆で出かける。こんなに楽しいことはありません。
「じゃあお弁当の材料を一緒に買ってこなくっちゃね。リュシカ、その間皆の面倒見ておいて頂戴ね」
「はーい!」
 私が元気よく言うと、二人は満足げに笑って、買い物に出かけて行きました。おばさんのお気に入りの白い鞄が太陽の光を反射していました。
 
 
 暖かい、春の日でした。
 
 
 
 
 
「がおー、怪獣だー」
「そこまでだ怪獣ゴメス!」
 二人が出て行ってから、私達はヒーローごっこをして遊んでいました。私は、人質の役。
「リュシカ姉ちゃん、二人ともまだ帰ってこないの?」
 
 一人が私を見上げた時でした。
 バン、と孤児院の扉が開けられました。急いで入ってきたのは、よく手伝いに来てくれていた人でした。黄色い髪が印象的なまだ若い女性です。よほど急いでいたらしく、ストレートの髪が少しほつれています。
 
「どうかしましたか?」
 走ってきたらしく息が切れている女性に、私は声をかけました。立ち上がって、彼女の元へ行きます。
「大変なの! 落ち着いて聞いてね」
 女性はとても悲しそうな目で、私を見ました。
 
 
「夫妻が、事故で……っ」
 言い終わる前に、私は走り出していました。
 半開きの扉を抜け、晴れ渡る昼の中へ。
 朝は気持ちいいと感じた風がその時は邪魔でした。
 
 頭の中が真っ白になって。
 何も考えられなくて。
 ただ、二人がいつも行っていた店に向かって走ったのです。
 角を曲がった所で、人だかりを通り過ぎようとして、私は立ち止まりました。
 
 道に、鞄が転がっていたのです。
 中身は散乱していました。パッケージに入ったパン、みずみずしいイチゴ、レタス、ジャガイモ、卵。どれもが地に当たった衝撃で駄目になっていました。ジャガイモはぱっくり割れていました。イチゴは潰れていました。卵は全て割れていました。
 そしてその鞄は、真っ赤でした。朝、白く光を反射していた鞄は、血赤に染まっていました。
「い、いや……」
 人だかりに私は視線を向けました。何かにすがるように。祈るように。
 在ったのは、無ければいいと思っていたものでした。壊れた車。赤い泉。そして。
「や……です……」
 そして、二つの、体。
「いやぁぁぁぁぁっ!!」
 
 
 晴れた、日でした。
 
 
 
 
 
「リュシカ、ご飯お食べ」
「……いらない、です……」
 私はずっと部屋に閉じこもって泣いていました。他に何も出来ませんでした。何が出来ると言うのでしょう? 二人がいなくなったのに。
 それはあまりに突然だったから。受け止める術を、知らなくて。
「……っ……」
 私は泣くことしか、出来ませんでした。
「おじさん……おばさん……っ」
 
 
 置いていかないでください。
 ピクニック、連れて行ってくれなくたっていいですから。
 大好きなパン、食べられなくたっていいですから。
 たまにご飯が無くなって、電気水道止められたって、我慢します。
 「ただいま」って言って、いつもみたいに扉を叩いてください。
 だから。
 一人にしないで、ください。
 
 
「何を泣いているんだい?」
 不意に声がして、私はベットから顔を上げました。私しかいないはずの部屋に、一人の人物が立っていました。
「私がいいものをあげよう」
 それが、女神様でした。
 私の方に指先を向けたかと思うと、私の目の前に羽が浮いていました。私の髪と同じ色の羽です。
 
 
「……これは……?」
 問うた私に、女神様は笑って言いました。
「大切なものを守る力さ」
「チカラ?」
「そう、魔法だよ」
 
 
 きょとん、としたと思います。魔法なんて本でしか聞いたことがありませんでしたから。遠い世界のことだと思っていましたから。
「魔法……。じゃあっ、魔法があれば、おじさんとおばさんは戻ってきますか!?」
 私は叫んだ。それだけが、今の望みだったから。けれど女神様は首を振った。
「残念だけど、それは出来ない。魔法の力は死んだ者を生き返らせるためにあるのではなくて、生きているものを守るためにあるのだから」
「守る、ため?」
 女神様はふう、と息を吐きました。そして優しく微笑んだのです。私はそれを座ったままの形で見上げていました。
「だから、いつまでも泣いていてはいけないよ、リュシカ」
 女神様は私の頭をなでました。暖かくて優しい手でした。おじさんとおばさんの事を思い出して、また泣きそうになってしまいました。
「彼らの残したものを、君は守りたいだろう? 泣くのはお止しなさい。そのための力を、君にあげたのだから」
「魔法……」
 ぼんやりと言って、貰った羽を見ました。
 
 
 守るための力。
 ムジナの穴の皆を。
 皆はまだ小さい。
 だから、私が。
 私が、頑張らなくちゃ。
 
 
「女神様」
 私は顔を上げました。
「ありがとう、ございます」
 泣き腫らした目で、忘れかけた笑みの形を私は作りました。
 その時、ドアをノックする音がしました。
「リュシカ、ご飯持ってきてあげたから、お食べ」
 入ってきたのは、事故を知らせに来てくれて、今皆の世話をしてくれている人でした。心配そうに私を見ます。
 女神様は、と思って視線をやると、そこにはもう誰もいませんでした。けれど、羽はちゃんと手元に残っています。
 
 
「あのね」
 私は言いました。
「これからは、私が皆を守るから」
 
 
 
 
 女神様は私に勇気をくれました。
 女神様は私に希望をくれました。
 女神様は私にとって、本当に神様みたいな人でした。
 でも。
 ティトォさんの敵も女神様です。
 アダラパタさんに指示を出しているのも女神様です。
 
 ねえ、女神様?
 本当のあなたはどちらですか?
 私には、分からなくなりました。
 出口の無い迷宮に迷い込んだ気分です。
 広い複雑な迷路に迷い込んだ気分です。
 
 どうやったら、ここから抜けられますか?
 私はどちらを信じれば良いですか?
 その答えを探すために、私は旅に行きます。
 ティトォさんという人と一緒に。メモリアへ。パンの激戦地へ。私はトップレベルのパンが楽しみで仕方ありません。きっと、すごく美味しいんですょね。
 
 
 ――おじさん、おばさん。
 リュシカは元気です。
 心配しないで下さい。絶対に、元気に帰ってきますから。
 だから――行って、きます。
 
 
 
 
 
 
 
2003.3.17

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