「うーん、困ったねー」
腰の双剣はそのままに、ちっとも困ってなさそうな声で呟いて、レンは辺りを見回した。
人の手が入っていない自然のままの密林には、草木が思い思いに茂っている。伸び放題に生え放題、しかも狭い。お世辞にもいい足場とは言えなかった。
そんな場所でモンスターに囲まれれば、普通は、困る。
「一、二、三、……六匹かあ、面倒だなあ。っていうかあれってカニなのかな、それともヤドカリ? 海岸から遠くまで来ても平気なんだね。ふーん」
しかしレンの口調は軽くのんびりとしたもので、どこか楽しんでいる風でもある。じりじりとにじり寄ってくるモンスターたちを見やりながら、相変わらず剣を抜くでもなく、ただにこにこと笑っていた。
「ねえ、どう思う?」
この場に彼以外の人間はいない。ケネスはロープを探しているし、ジュエルはヤシの実拾い、チープーは食料集めだ。けれど確かに、レンは誰かに問いかけた。
『――さァな、知らねえよ』
響く声は、内側から。
どこか不機嫌な言い方はいつも通りだ。彼の声は音として耳に届くわけではないけれど、それは確かに言葉としてレンの元に届く。どんな構造かなんてどうでもいい。自分達の中で意思疎通が出来るという事実、それだけがあればいいのだ。
レンは自分の中から聞こえてきた反応に、クスリと口元を釣り上げた。
「ねえアズル、何秒でいける?」
『秒かよ。換わるなんて言ってねえぞ』
「ふーん換わってくれないなら、アズルが木材集めがいいって言った理由を皆に喋っちゃおうかなー」
レンがからかい混じりに言うと、声の主、アズルが一瞬黙る。その反応に、レンはさらに笑みを深くした。
『……別に俺は』
「この辺モンスター出るもんねー海岸やヤシの木の辺りは安全だもんねー。アズルくんってばやっさし」
『黙れ』
不機嫌さの中に照れ隠しの怒りが混じったのが分かる。自分達は表裏一体、感情の揺れは簡単に相手にも伝わってしまう。レンはまだ誤魔化せなくもないけれど、アズルは変なところで素直だ。
「はは、……っとと」
飛び掛ってきたモンスターを、レンはひょいと避けた。けれど完全に避けきれたわけではなく、足に少しの痛みが走る。
『下手くそ、痛ぇじゃねえか』
「そう言うならアズルがやってよ。僕、戦闘はあんまり得意じゃないんだからさ」
まあスノウには多分負けないけど、と心の中で付け足す。騎士団を追い出されるまでは、スノウとはよく手合わせをしていた。フィンガーフート伯の手前、勝つわけにもいかないので適当な所で降参していたが、普通にやっていいなら多分負けない。
「この殻って硬いのかな? ちょっと叩いてみよっか」
相方に話しかけながら、再びモンスターの攻撃を避ける。けれど返事が返ってこない。
「……ん? どしたの、アズル」
もう一人の自分が黙ってしまったので、仕方なくレンは二つの剣を抜いた。モンスターの硬い殻を数度斬る。絶対自分よりアズルの方が早いのにと不満を述べたいところではあるが、いつまでも応戦しないわけにもいかない。
「あ、なに、スノウに反応したの? やだなあアズルってば繊細ー、もうちょっと図太く生きようよ」
『うるせえな! そんなんじゃねえよ!』
怒鳴られてしまったが、はははと軽く笑うだけでレンは何も言わなかった。レンとて何も思うところがないわけでもないのだ。〝君だけは信じてくれ〟とそう言うのなら、同じように信じてくれたっていいじゃないか。
――いいけどさ、別に。
少しふてくされたような気分で、そう思う。どうせ今更どうにもなりはしないのだけれど。
レンがあばれガニの殻を割ると、その一体は光となって消え去った。残りは五体だ。
「で、換わってくれるの? くれないの?」
『わァったよ、体貸せ』
よしきた、とレンは少しモンスターから離れる。
「逃がさないでね」
目を細め、レンは口元の弧をさっきまでとは違う形に歪めた。猫かぶりな笑顔とも、友人達といるときの笑みともまた違う。どこか容赦のない、同時にとても楽しげな、そんな表情。そして唇から紡がれる言葉はどこか鋭利な光を帯びる。
「――蹴散らせ!」
『言われずとも!』
その言葉と同時に、感覚の全てがアズルに渡った。
アズルはレンには出せない速度でモンスターとの間合いを詰めると、その勢いのまま剣を振るう。一撃、二撃、レンが先ほど負わせたよりずっと深い傷を、モンスターの体に刻んでいく。
攻撃も完全に素早く避け、足場の悪さも気にしない様子でさくさくとモンスターを倒していく。スピードも、速さも、同じ体を使っているはずなのにレンはアズルに敵わない。
どこか他人の動きを見ているような気持ちで、レンはそれを眺めていた。
+
二重人格の形はさまざまだ。
完全に乖離していることもあればそうでないこともあるし、互いに会話できることもあればできないこともある。記憶を共有することも、しないこともある。二人ではなく三人以上になった場合は多重人格と呼ばれるらしい。
レンも騎士団の図書室でいくつか文献を調べてはみたが、調べるだけでやめてしまった。
自分達がそうであることに変わりはないのだし、今更治そうという気もない。覚えている最初の記憶からずっと自分の中にはもう一人の誰かがいて、いつでも会話ができた。
人に言ったら変な顔をされたので、冗談で誤魔化して秘密にすることにした。だからスノウもこのことは知らない。
普段はレンが、たまにアズルが。記憶が飛ぶようなことはなかったおかげで、それなりにうまくやってきたと思う。
誰かに話してもいいかと思えたのは結構最近のことだ。自分以外でアズルのことを知っているのは、ガイエン海上騎士団で仲良くなったケネスたち四人だけだ。
ほんとに感謝しなきゃなあ、とレンは思う。
自分〝達〟のことを知っても受け入れてくれただけでなく、団長殺しの疑いをかけられても信じていると言ってくれた。二人は流刑にすら付き合ってくれた。
何かを返さなければと思う。果たして何が出来るのか、まだわからないけれど。
+
「おい、終わったぜ」
双剣に付いたモンスターの血を適当に払い、アズルが剣を鞘に戻す。しかしレンは『うんお疲れ様、そのまま木材集め行ってみよっか』と笑顔で返すだけで、換わろうとはしなかった。
基本的に交代の権限はレンにあり、アズルの意思では交代することができない。なんで俺がとかぶつくさと文句を言いながら、アズルは密林の奥へと進んでいった。
「なあこれでいいか」
『うーんもうちょっと太いのがいいなあ』
「じゃああれは」
『太すぎ? アズル極端』
「だったらそっちは!」
『枝が多すぎて後で加工するの面倒くさそ』
「ッ注文が細けえ! 黙ってろ!!」
笑い出したい気分で、レンはアズルに切り倒されていく木をただ眺める。誰かと一緒にいなくても退屈しなくていいのは便利だ。
どうしてこんな風に、とはレンも言わないしアズルも考えない。
別段誰かに迷惑をかけるわけでもないし、現状維持で満足だ。それが停滞なのだと言われても、変化なんて必要ない。未来なんて知らないけれど、できればずっとこのまま二人で。
――〝ずっとこのまま楽しい日々が続けばいいのに〟。
ふと、宴の夜の彼の言葉が頭をよぎる。
『あっやだな、スノウみたいなこと考えちゃった。っていうかアズル、その木ちょっと細すぎ。あとそっち虫だらけだから止めとかない? 僕触りたくないなー』
「だから黙ってろって言ってんだろーーー!!」
何も知らない人が見れば一人で騒ぐ変な人にしか見えないだろう。アズルの叫び声に、鳥たちが驚いて逃げていった。
これは一人の物語。
けれど同時に、二人の、物語。
About
4主が二重人格だったら面白いんじゃないだろうか…!と妄想したシリーズです。3冊完結済。電子販売はセット販売のみとなります。
・停滞の終わりと変革の始まり:幻水4・2重人格な4主のシリーズ1冊目。無人島~オベル脱出あたりまで、4主+ケネス+ジュエル+α。(A5/84P/オフ/07.8.17)
・時の狭間の回旋曲:幻水4・2重人格な4主のシリーズ2冊目。スノウとのシリアス。(A5/72P/オフ/07.12.29)
・二人の旅路の行方:4の二重人格シリーズ完結編。基本ノリは軽めに with テッド。(A5/132P/オフ/08.8.16)
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