カナリア*

負けず嫌いの戦い

 
 
リュウは全てのトレーニングを終えると、立てかけてあった棍を手に取った。
 
 
一日のメニューは山道でのランニングから始まり、筋トレ、素振り、木を相手にした打ち込み、その他思いつくトレーニングを一通り。それも毎日負荷や量を上げている。
そして一通り汗を流した後は、最後の仕上げだ。
 
「おいカイン!手合わせ付き合え!」
 
リュウは家の裏まで走り、グレミオを手伝って洗濯物を干していた少年に声をかけた。
少し前からマクドール邸に滞在しているその客は、真っ青な瞳と薄茶色の髪をした異国の旅人だ。テッドと知り合いだったことやその手に真の紋章を持っていることに興味がわいた。何より本人が気に入った。よって引き止めて滞在してもらっている。
 
――が、一つだけ面白くないことがある。
 
 
「坊ちゃん、そう毎日毎日お願いしては……」
グレミオが困ったようにこちらに視線を向けた。
「毎日だろうが毎時間だろうが、俺が勝つまでは逃がさん!」
 
 
リュウは人差し指を真っ直ぐ少年に向けると、強く棍を握りしめる。
 
腰に双剣を携えた少年はすでに百年以上の時を生きているらしく、かつて軍を率いていたこともあるという。ずっと旅暮らしだったというから、モンスターや野党の相手はずっとしてきたのだろう。戦いの回数、経験値は数えるのも馬鹿らしいくらいに違いない。
が。
 
 
それでも、勝てないのは納得がいかない。
 
 
彼は強い。信じられないほどに速く、余計な動きもぶれも一切なく静かに流れる剣筋は、いっそ傍目に見とれてしまうくらいに美しい。大抵の攻撃は見切られ、簡単にかわされるか流されるかしてしまう。
トランを出てから二年、なまったつもりは無かったし大抵の相手には勝てる自信があった。実際ずっと負け知らずだった。
のに、彼に負けた。しかも何度挑んでも一本を取らせてもらえない。
 
それが面白くなかった。
ものすごく、面白くなかった。
 
 
「グレミオの手伝いなんかいいから俺に付き合えよ」
 
久しくやっていなかったトレーニングを再開したのも全て彼に勝つためだ。今勝てないなら今より強くなればいい、単純な理屈だった。毎日のように手合せを挑んでいるのは、一日も早く倒したいというより目標の確認と彼の速度に慣れるためだ。
 
「分かった。グレミオさん、残りお願いしてもいいですか」
 
少年が洗濯かごを草の上に下ろす。グレミオが「すみませんねえ」と苦笑し、少年はこちらを見た。
 
「いつもの所でいいかい」
「ああ」
 
 
グレッグミンスターの町を出て少しだけ移動する。街道沿いの平原なら滅多に邪魔は入らない。
少年は腰から剣を鞘ごと外すと本体と鞘をしっかり固定した。あれなら当たっても打ち身程度で済むが、重みや抵抗が増す分扱い辛くなる。安全のためとはいえそれでいいと言ってしかも勝ってくるのだから、それもやはり面白くない。
 
 
「カイン!」
リュウは少年に棍の先を突きつけ、にいと笑った。
「今日は勝つぞ」
 
 
カインは微かに口元を吊り上げるだけで何も言わなかった。毎日毎回同じような台詞を吐いているから飽きたと思われているかもしれないけれど、そんなことはどうでもいい。この勝利宣言は自分用なのだ。良くも悪くも人を縛る言の葉は、使いようによっては力に変わる。
 
「タイミングは?」
 
リュウは棍の先を彼に向けたまま、腰を落として構える。
 
「いつでも」
 
カインは剣の先を下げたまま、特に構えるでもなく静かにそこに立っていた。
けれどその瞳の色は、剣を手にすると普段のそれからがらりと変わる。いつもはとても穏やかな静けさを宿す青色が、深みを増して鋭く光る。静けさだけは変わらないのに優しげな光はどこかへ消えて、極限まで研いだ氷のようなのに、その奥で蒼い炎が揺らめいているような気がした。
 
この瞳を向けられるたびにぞくぞくする。強い相手と向かい合っているのだという実感、その相手と今から闘えるのだという歓喜。
越えられるか分からない壁に挑戦する時は、いつもたまらなく心が踊る。笑うつもりはなくても、勝手に口元がつり上がった。
だって最初から勝てると分かっている勝負なんてつまらない。どうなるか分からないから、倒してやりたいという気持ちがあるから燃えるのだ。掲げたハードルをクリアできれば、また一つ前に進める。
 
もっと強くなりたい。
理由なんてない。一番が欲しいわけでもない。
 
大事なものは、手の届く範囲くらいは守りたいという気持ちもあるけれど、それ以上に心にあるのはひどく個人的な闘志だ。
 
 
――ただ、今より上の自分が欲しい。
 
 
こんな近くに目標がいるというこの状況は、リュウにとって願ってもないことだった。気が緩まなくていい。
もちろんいつまでも目標のままにするつもりはない。
 
絶対に、越えてやる。
 
 
ゆっくり息を吸い込んで、それを短く吐く。と、同時に地を蹴った。
右からの打ち込みは相手の片方の剣に阻まれ届かない。襲ってきたもう片方の剣を、リュウは棍を返すことで弾いた。
右、左、息継ぎの暇も与えないくらい連続で攻撃を繰り出しても、カインは表情を変えることなくそれを捌いていく。今まで何度も手合せをしてきたが、彼の焦る表情などリュウは見たことがなかった。目にある青色はいつも変わらない。
 
「!」
 
攻撃の中央、ほんの少しの隙をついて突きが向かってくる。リュウは舌打ちをしながら大きく横に跳んでかわした。しかし体勢を立て直すより早くカインが眼前に迫っている。
カインの攻撃は速い分、一つ一つはまだ軽い。無理な体勢ではあったが、なんとか受け止めた。伊達に毎日筋トレはしていない。右足で踏ん張り、再び攻撃に転じようと棍を横から叩き込む。
けれどそれも楽にかわされてしまい、リュウは内心舌打ちをした。
 
今度は自分の番だとでも言うようにカインが打ち込んできた。左右両方から襲ってくる剣を、リュウは棍の両端を交互に使って弾いていく。
一回一回それぞれを弾くのは難しくない。ただそれを、ついていくのもやっとな速度で連続して繰り出されると、徐々に受けきれなくなってくる。
しかもカインは、涼しい顔でさらにピッチを上げてきた。速く、疾く――どんどんテンポが跳ね上がっていく。
一体彼はどこまで速く動けるのだろう。今の速度だって、これは何割の力なのだろう?
 
 
(こんの――っ、ついてってやらあ!)
 
 
自分だって遅いつもりはないし、これに振り切られまいとすれば今よりもっと速くなれる気がする。
何より、負けたくない。負けてたまるか。
 
勝負を決めるのは速さではない。けれど力でもない。そこに実力差が横たわっていたとしても、相手を倒してやりたいという気持ちの大きさは勝敗を決める大きな要因になる。
気持ちの上では、負けている気は全くしない。
 
 
「うおりゃあぁぁぁッ!」
 
 
己の声で気合いを入れ直し、カインに向けて棍を強く突き出した。
棍のような武器は殴るよりも突く方が速いし威力もある。リュウにとっては最大限の鋭さを伴って出した攻撃だったが、それでも――彼は、紙一重で避けた。その表情は変わらないままだ。
 
次の瞬間、耳のすぐ傍を何かが駆け抜ける。
風音が途切れた時、そこにはカインの剣がぴたりと添えられていた。
無言のまま二人は視線を交わらせ、不意にカインが薄く笑った。
 
 
「僕の勝ち」
「むかつくーーーーーーッ!!」
 
 
一体これで通算何敗目だろう。リュウは棍で地面を一度強く叩くと、その場にどすりと腰を下ろした。
トレーニングも毎日怠っていないというのにどうして勝てない?もちろん絶対的な経験量の差はそう簡単に覆せるものではないだろうけれど、彼に会うまでしばらく負け知らずだっただけにとても悔しい。
 
「腹立つーなんでこんな勝つ気なさそうな奴に負けんだよ、俺は一回叩きのめしてやりたいとずっと思ってるのに!」
 
たまには彼から一本取りたい。それも小細工なしで真正面から。トラップや不意打ちを使っても勝ちは勝ちだが、それでは意味がないのだ。
 
 
「なんだよいつも余裕ぶっこいた顔しやがって。どうせ俺なんかにゃ勝って当たり前だと思ってんだろ」
「思ってないけど」
「思ってる!!」
 
 
リュウが睨むと、カインは少し困ったように首を傾けた。別に馬鹿にされているとも彼がそんなことを考える人間だとも思っていないけれど、どんな手で攻めても涼しい顔で全てかわしてしまうのだから、それくらいのことは言いたくなる。
 
「君は自信家なのか謙虚なのか時々分からない」
 
カインは微かに苦笑しながら剣を腰へと戻した。どういう意味だろうと思ったけれど、リュウは何も言わなかった。そんなことよりどうして負けたのか、どうやったら勝てたかを考える方が大事だ。師匠だって手合わせのたびに考えろと言っていた。
黙って今の一戦を思い返していたら、カインがぽつりと呟いた。
 
「手合わせ前のトレーニング、僕も一緒にやろうかな」
「はっ!?駄目だ!やるな!」
 
リュウはばっと顔をカインを見る。そこには不思議そうな驚きがわずかに読み取れた。
 
「どうして?」
「お前まで鍛え出したらいつまで経っても差が縮まらんだろうが」
 
縮まらないどころか、これ以上差を広げられたらたまったものではない。「いや、そうとは……」と少し困ったように言うカインを、リュウはむすりとした表情で睨みつけた。
 
「駄、目!俺が追い付くまではそこで待ってろ!!」
「……、はいはい」
 
カインが苦笑気味に息をつく。自分が我儘を言っているのは分かっているけれど、やはり一度は自分が勝ってからにしてほしい。
もう五回ほど手合せを重ねて、二人とも汗だくになってきたあたりで「そろそろ帰ろう」とカインが言った。
 
 
 
 
      +
 
 
 
 
「……余裕だなんて思ってないんだけどな」
 
 
前を歩く赤い背中を見ながら、カインは小さく呟いた。
剣を強く握りっぱなしだった手は少ししびれてきてしまっている。リュウもだいぶ勢いが落ちてきていたから、止めるタイミングとしては間違っていなかったはずだが、カインもあのまま続けていたら手の筋肉がつりそうだった。
 
筋トレなり何なり、もう少し真面目にトレーニングをしようか。自分には少し、純粋な〝力〟が、筋力や一撃の重みが足りない気がする。
大抵の敵には今の力で十分だったのに、普通なら振り切れるところまで速度を上げてもリュウはついてきてしまう。彼に出会ってから、振り切るためにどんどんピッチを上げなければならない分、昔よりも速く動けるようになった気がする。
 
それに毎日行っているらしいトレーニングの成果か元々なのか、彼は体幹がしっかりしている。不安定そうな所を狙って叩いてもなかなかバランスを崩してくれない。
力は彼の方が強いときているから、強い攻撃を次々と速いテンポで繰り出されると払い切るのもなかなか難しかった。その上日々確実に一撃の威力も速度も上げてきているのだ、うかうかしていると本当に抜かれてしまう。
 
 
それは、ちょっと、悔しい。
 
 
それに今に満足せず上を目指し続ける彼を見ていると、自分ももう少し己を高めてみたくなった。どこまで行けるのか、試してみたい。
リュウはトレーニングなんてせずに待っていろと言っていたけれど。
 
(……まあ、こっそりやればいいか)
 
別に四六時中一緒にいるわけでもないし、何なら彼がトレーニングに行っている間に内緒でやればいい。とりあえずは筋トレからいこうか。ダンベルが欲しいが、さてどこに隠そう。
 
 
前で揺れる緑のバンダナの先を見ながら、僕だって君に負けるのはごめんだよ、とカインは心の中で呟いた。
 
 
 
 

 
2008年夏の無料配布本より。

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