カナリア*

無題

 
 
落ちていた。
 
 
 
そう表現するしかないくらい見事に、捕まるものなど何もない空中で落下を続けながら、今日は厄日かなあなどと、風のせいで顔に当たるスカーフを手でどけてぼんやりサキは思った。
 
「なんっでビッキーのテレポートって毎回こうなんだよったくもう!!」
 
半分呆れつつ半分ヤケになりつつ、長い棍を携えた少年が言う。リュウは器用に空中であぐらをかき、遥か下を見下ろした。
 
「や、でも下、一応草むらっぽいですし……」
 
一応フォローを試みたが、心を軽くするには足りなかった。確かに下に見えるのは緑。土も多少はやわらかいだろうが、気休めにもならない。痛いですめばいいなあと、遠い目をしてみたくなる。
 
「二人とも、口より手を動かして。――土の守護神の札」
 
黒服の少年が札三枚を広げると、三人の体を黄色い光が優しく包む。サキが礼を言うと、カインは無言で一つ頷いた。しかし少しの間防御力を上げてくれる土の守護神とはいえ、どの程度衝撃を和らげてくれるかは疑問なところだ。
 
 
「つっても俺、紋章は烈火とソウルイーター、アイテムも大して持ってねえし、何もしようがねえぞ?」
 
リュウが言って、サキが「輝く盾とか使ってみます?」と続ける。カインは近づいてきた草地を見下ろし、考え込むように口に手を当てた。せめてもう少し南にそれてくれれば小さな池に落ちられたのに、どう頑張ってみたところでそこには届きそうにない。もしくは東にそれてくれれば、地面はもう少し近かった。今三人が落ちようとしている場所は、ちょうど谷間にあたるのだ。
 
 
 
不意に。
 
「あの草――」
 
カインが呟く。何だろうと草地に目をこらそうとした瞬間、サキは腰の布を捕まれ勢いよく投げられていた。
 
 
 
「へ? え?」
「おいカイン! 何すんだよ!?」
 
投げられたのはリュウも同じらしい。方向は南、池のある側ではあるのだが、池まで届くには勢いが少し足りない。むしろ草も木も何もない、硬そうな地面に向かって落下していく羽目になった。
 
目をしばたきながらカインを見れば、彼は右手に宿った流水の紋章の力を解放するところだ。
 
 
 
地面まであと一秒、という刹那。
 
 
 
池の水面が揺れたかと思うと、大量の水がそこからサキたちの下に向かって流れ込んできた。三人のクッションになろうとするように、「水面」が真下に出来上がったのだ。
 
「えぇ!? そんなのアリなん」
 
アリなんですか、と思わず口にしかけた言葉は途中で途切れる。あるはずのなかった水中に落下し、紡がれるはずだったものは泡となって昇っていく。
 
落ちた勢いを水が和らげてくれたとはいえ、殺しきれなかった勢いで体を地面に打ち付けられる。痛いと思っている暇もなく、池に戻っていく水の流れに体を引きずられ、腕や足のそこらかしこに石がぶつかった。どうにか踏ん張りやっと体が止まる頃には、サキの体はすり傷だらけになっていた。遠かったはずの池は流されたおかげですぐそこだ。
 
「痛たた……お二人とも大丈夫ですか?」
 
周りを見回してみるとリュウもカインもすぐ近くにいた。二人とも同じくたくさんのすり傷を体中に作っているが、とりあえず無事ではあるらしい。下にあった葉で切ったのか、カインはいくつか小さな切り傷も手足に作っている。
 
 
「あんな技、ねーだろ普通……」
 
リュウが唖然としながらカインを見る。「うん、名前はないよね」と群島の少年はどこかずれたような答えを返していた。
 
前に誰か――ルック辺りだろうか――が言っていたのだが、一般に知られている紋章の術は武術で言う技だ。型通りに紋章を行使すればその通りの術が出る。しかし紋章はあくまで属性を司るものであり、型に縛られる必要はどこにもない。
 
よってカインが今見せた芸当も理論的には不思議ではないのだが、型外れの術を、しかもあんな量の水を操ってみせるなんて普通は出来ない。サキはただ感嘆して、自分でも気づかぬうちに拍手を送っていた。
 
「さっすがカインさん! 今度コツを教えてください!」
「コツってあるのかな……それより、優しさの流――」
 
今度は型通りの術を唱えようとしたのだろう、聞き覚えのある言葉がカインの口から紡がれかける。しかし三人の傷を少し治しはしたものの、紋章からの光もカインの言葉も途中で止まってしまった。
 
「ごめん、魔力切れみたいだ」
 
あれだけの水を操った後なのだから無理もない。「じゃあぼくがやりますよ」と、サキは輝く盾の紋章を使って残りを治した。体のあちこちで自己主張していた痛みがすっと引いていく。
 
 
「そいや、なんで投げた?」
「……、ちょっとでも池に近い方がいいかと思って」
「ふーん?」
 
リュウとカインの会話を聞きながら、サキもなるほどと納得する。けれどあんな空中で投げたりしたら、投げた側は反動で逆に遠ざかる。今回は全員無事だったからいいが、もし水のクッションが足りていなかったらと思うとぞっとした。
 
同じことを考えたのだろう、リュウはわずかに睨むようにしてカインを見た。しかしそれについては何も言わず、「助かった。さんきゅ」と簡潔に礼を述べる。自分もまだ礼を言っていないことに気付き、サキも慌てて頭を下げた。
 
「水、ありがとうございました!」
「うん。それよりサキ、瞬きの手鏡は?」
「あ、えっと――――えっと……?」
 
 
ない。
 
 
ポケットというポケットを探してみても、出てくるのはおくすり程度で今一番重要なアイテムはどこにもなかった。ひょっとして落としたのだろうかと焦ったが、違うのだということに思い至る。
 
「そういえば、さっきビクトールさんに渡したんだった……」
「タイミング悪ぃなあ。しゃーねえ、自力で戻るか」
「す、すみません」
 
失くしたわけではないとほっとすべきか、持っていればよかったと後悔すべきか微妙なところだ。さっき水に流された時に一緒に落としていたらと思うと背筋が冷えるが、手鏡があれば一発で城に戻ることが出来たのに。
 
一緒にサウスウインドウに行くはずだったビクトールやフリックたちはどうしただろう。自分達以上に変な場所に飛ばされていないといいのだけれど。
 
 
ひとまず三人の持ち物確認。皆おくすりもしくは特効薬を一つ二つ持っている程度で、毒消しや目薬などの類はない。普段ならカインが流水の紋章を使ってくれるから問題ないのだが、少なくとも町か村に着くまでは慎重に行動した方がよさそうだ。
 
「どうする? 川に沿って下ってみるかい?」
「いや……、この崖を登って一度尾根に出てみるってのはどうだ?」
 
落ちている間の景色を見る限り、ここはどこかの山の中だ。谷に落ちてしまったので、あたりを見回してみても地形はさっぱり分からない。ただ見えるのはすぐ傍の小さな池と、そこから伸びる細い川。そして左右にそびえる崖のみだ。落ちている最中に集落らしきものが見えたような、見えなかったような……?
 
「水に沿って歩けば、人の住む場所に辿りつける確率は高いと思うけど」
「そりゃそうだけどさ、降りられない滝に出くわさないとも限らないぜ? 一度尾根に出て地形と集落の有無を確認した方が確実じゃないか」
 
二人の会話に入れない。よく分からずサキが曖昧な笑顔を浮かべていると、山で迷ったらとりあえず尾根線――要するに山脈のてっぺん――に出れば道を確認できるのだとリュウが教えてくれた。な、なるほど。
 
 
「これを登るの?」
 
カインが崖を見上げて言う。岩がむき出しのごつごつした壁面は、決して登りにくくはなさそう……かもしれないが、十五メートルはありそうだし、ロープ無しのロッククライミングは遠慮したいところではある。
 
「これくらいでガタガタ言うなよ、気合で何とかなるだろ?」
 
二十メートル弱のロッククライミングが気合だけで何とかなったら誰も苦労しない。どうしてこう、リュウはいつも無茶をさらっと言うのだろう。カインは再び壁面を見上げ、少し嫌そうに眉根を寄せた。けれど少しの間の後、「でもそれが一番確実かな……」と呟く。
 
二人が言うならきっとそれが一番なのだろう。サキも観念して「がんばりまーす」とため息交じりに答えた。
 
 
 
 
 
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