カナリア*

無題 02

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崩れなさそうな岩に手を伸ばし、己の筋力を頼りに登り始める。自分の身長より上に来たあたりでふと上を見上げてみれば、カインがかなりのスピードでするすると登っていくのが見えた。
 
「あいつ、渋った割には……速いな?」
 
近くにいたリュウが、同じように見上げながら不思議そうに言う。サキはそれにただ同意した。特に急いでいるわけではない――仲間が心配してるだろうから、早く無事だと連絡は取りたいが――のだから、ゆっくり登っても構わないのに。
 
 
「……、……」
リュウが一度下を見下ろして少し考えるような表情をしてから、再度顔を上げてクライミングを再開する。
 
 
「カイン、お前には負けん!!」
「はい!?」
 
 
何も張り合わなくても。
 
 
リュウまで急いで登り始めるので、サキもペースを上げるしかなくなった。ロープとサイコロがあれば本拠地での競争みたいだ。そういえばいまだに競争相手のそっくりさんと話したことがないのだが、あれはどこの誰なんだろう。
 
ロープも何もなしのロッククライミングというのは疲弊する。ただでさえ体を持ち上げるために筋力を使うのに、落ちないよう細心の注意を払わなければいけないから、精神的にもかなり削られる。しかも二人に追いつくために必死になったものだから、やっと頂上に着いた時にはサキは汗だくになっていた。ぜいぜいと四つんばいになって息を吐く。
 
 
「お疲れさま」
 
さすがに彼も疲れたのか、カインが木の下で座って休んでいた。リュウはどうしたのかと問えば、彼は山のさらに上をあごで示した。山の連なりの頂上に立って、リュウが向こうの斜面を見回している。同じように登ってきたというのに、座ってすらいないとは元気な人だ。
 
「おーい、適当に休憩したら上がって来いよ!」
 
そう言われ、サキはカインと顔を見合わせてから立ち上がった。疲れてはいるけれど少し斜面を登るくらいの元気はある。二人はリュウのいる尾根へと登った。
 
 
「わあっ、きれいですね!」
 
広がっていたのは大自然。山脈が東西に連なり、人の手の入っていない深い緑と、青空だけが広がっている。これがただのハイキングなら、さあこの景色を見ながら食事でも、というところだ。
 
「あれが集落かな?」
 
カインの視線を追うと、山をしばらく下ったところに小さな村が見えた。黄色や赤の屋根がちらほらと緑の中に色を落としていた。少し遠いが、下るだけだ。崖を登ってきたのはきっと正解だったのだろう。そういえば、ふと思い出してリュウに聞いてみる。
 
 
「そういえば、勝負はどうなったんですか?」
「……ん?」
 
自分が登るので精一杯だったから、二人の戦い――一方的にリュウがライバル視していただけかもしれないが――の結果を見ていない。リュウは目をそらしながら言った。
 
 
 
「まあ、そんなことはどうでもいいじゃないか」
 
負けたらしい。
 
 
 
「それよりあれを見ろ!」
 
リュウが指差したのは丘を一つ越えた先だ。木々に囲まれてよく見えないが、白い祭壇のようなもの。楽しげな声音にもしかしてと思いながら彼の方を見れば、リュウは目をいきいきと輝かせて棍の先をまっすぐそちらに向けた。
 
「ちょっとくらい寄り道しても大丈夫だと思うんだがどうだろう!」
 
遠くてはっきりとは見えないが、その形に覚えはない。何の遺跡なのか思い至るところがなくてどきどきする。ちょっとわくわくしながらサキも遺跡を見たが、静かな声が後ろから待ったをかけた。
 
 
「――それは、一度村に寄ってからではだめかい?」
 
特にあきれる風でもなく、ただ冷静な制止。リュウがえーと不満げな声を上げたが、カインの言葉は正論だ。
 
「回復アイテムもあんまりないし、僕も一度休まないと紋章が使えない。それに、同盟軍の人達に早くサキの無事を伝えた方がいいよ」
 
もっともだ。思わず寄り道して遺跡に行きたいと言いそうになった己を反省し、サキはちらりとリュウを見る。彼は自分がやりたいと思ったら、何と言われようと実行する人だ。主に遊びとイタズラ関係で。だからもう少しごねるかと思ったのだが――
 
 
「……、分かってるよ冗談だ」
 
意外にも、あっさりと引いた。ただし面白くなさそうにカインを軽く睨むことは忘れなかったが。一言も反論も不満も彼が述べなかったのが意外で、サキは思わず目をしばたいてしまう。けれどその反応は失礼かと思って慌てて隠した。
 
……、でも、意外だ。まさか遊び関係で、まともな正論に耳を貸す人だと思わなかった。いや、そう思うのも失礼か。
 
 
「じゃあここで選択だ。1.一直線で近いが険しい道、2.かなーり大回りだが非常にゆるやかな道。さあどっち!」
「リュウ、普通に行けそうなコースが見えるのは気のせいかな……?」
「なんだよちょっとはノれよ!!」
 
しかも特に機嫌を損ねたわけでもないらしい。本当に遺跡の話は冗談だったのだろうか。いつも通りのやりとりに喧嘩する様子がなくてほっとしたが、何だろう、何か――
 
「サキ、疲れた?」
「えっぼくは別に」
 
じっとカインを見上げていたら、心配そうに聞かれてしまった。多少は疲れたけれど、じっと立っていたらある程度回復した。それにあとは下るだけだ。
 
「あ、あの、カインさんは……」
「僕? さっき休んだから平気だよ。リュウ、先頭頼める?」
「ああ。もう行くか?」
 
リュウの問いに、カインがこくりと頷いた。
 
「遺跡に行きたいんだろう? 早めに用は済ませよう」
 
……特に違和感は、ない。何が気になったのかよく分からなかったので、とりあえず棚上げしておくことにしよう。リュウが坂道を下り始めたのでサキはそれに続いた。
 
 
三人で一列に並んで進む時、サキが真ん中に入るのはいつもの決まりごとだ。一度最後尾がいいと言ってみたことがあるのだけれど、二人から後ろだけはやめてくれと言われてしまった。そりゃあ誰かと歩いていてもいつの間にか迷子になる方ではあるが、サキに言わせればいなくなるのは他の人達の方だ。
 
洞窟や街中を歩いている時に、ふっと気付いて振り返ったら、いない。ついさっきまで隣にいたはずなのに。そしてそういう時はたいてい自分が今どこにいるのか分からない。……あれ? つまり迷子になるのはやっぱり自分なのだろうか?
 
 
そんなことを考えながら、草が好き放題に茂る地面を踏んでいく。
 
最初はぽつぽつと交わされていた会話も、次第に減っていつしか無言になる。
さくさく、ざくざく。
木の葉を踏みしめる三人分の足音が一定のリズムを保って鼓膜を叩いた。
さくさく、ざくざく。
 
山に住む動物達や鳥達の声が遠くに聞こえ、時折強く吹き上がる風が木の葉をこすって音を鳴らす。心地よい静けさと変わらないリズムが頭をぼんやりとさせていき、たどり着くために歩いているのか歩くためにたどり着こうとしているのか、その境界が薄れていく。
 
いつの間にか水音が混じっているのに気がついた。いつからだろう、ずっと聞こえていたような気もするし、さっき聞こえ始めたような気もする。森は深く、少し見回してみても川は見つからない。上で見た景色を思い出してみるが、完全に真っ直ぐ山を下っているわけではないので今どの辺にいるのかよく分からなかった。
 
 
「今大体どの辺ですか?」
 
前を行く赤い背中に声をかけてみる。なんだか久しぶりに言葉を発したような気がした。
 
「川が見えたら半分は過ぎてる。休みたかったら言えよ」
「ぼくはまだ平気ですけど」
「僕も別に」
「……、あっそ」
 
それだけで会話がまた終わり、ただ歩くだけの時間が続く。先頭のリュウはほんのたまに周りを見回す程度で、あとは迷いなく進んでいく。上で見ていた地形が大体頭に入っていて、しかも今どこにいるのかちゃんと分かっているのかもしれない。サキにはただすごいなあと思うしかなかった。
 
 
「あ、川」
 
そのうち、水の流れる場所に出た。泳ぐなり石の上を歩くなりすれば渡れないこともないだろうが、思っていたよりも太く、流れも速い。
 
「もうちょい行ったら川が分かれて、んで残り三分の一な」
「へー、こんな距離を迷わず来れるって凄いですね!」
「いや普通迷わねえから」
「えっ迷うのが普通ですよ!?」
「お前だけだそれは」
「えー!」
 
山とは歩けば迷うものであると信じてきたのに。特に道らしい道もなく、上で覚えたあたりの地形と太陽の方角を頼りに迷わず歩くなんて、普通なんだろうか。カインにも迷わないよと言われそうだったので、帰ってから誰かに聞いてみよう。
 
 
しばらく進んでいたが、急にぴたりと先頭の足が止まる。
それに習ってサキもカインも立ち止まった。
 
それは丁度川の分かれ目。ある木を境に川が真っ二つに分かれている。片方は真っ直ぐそのままの方向へ、もう片方はサキから見て右手の方向へ。川は大地を削り、右側へ折れた方は山に少しずつ谷を作っていた。
 
 
「……ちっ」
「?」
 
舌打ちが聞こえたので、ひょいと前を覗く。
 
獣型の、狼に似たモンスター三匹が下流に見えた。水を求めて来たのだろう、三匹とも冷たい地面に体を寝かせて静かに休んでいる。特に、こちらに気付く様子はない。サキはそっとリュウに声をかける。
 
「迂回しますか? それともいなくなるのを待ちます?」
「こっから迂回すると結構遠回りになるが、待つくらいなら迂回かな」
 
声を落とし、魔物たちの様子を見ながらわずかに後退する。リュウにも魔物たちの間を突っ切る気はないらしい。どうしてだろう、なんだか今日はいつになく大人しい。
 
 
「――、ただ」
 
そう言って、リュウが振り向くのと。
 
「お前、まだいけるか?」
 
 
背後でカインが膝をついたのは、ほぼ同時だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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07.09.01

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